Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.7.22

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩の乱と西城罹災」(抄)
その2

池田晃淵

『徳川幕府時代史』 早稲田大学出版部 1904 収録

◇禁転載◇

第八章 修正時代
 大塩の乱と西城罹災 付家斉の薨去 (2)

管理人註
   

見聞随筆に、  駿河守、一日平八郎を招き、閑談数刻に及び、やがて夜喰を共にせしに、 談偶ま今を以て古に擬し、所謂時事の論に入り、甲是乙否、其酣なるに至 り、平八郎、皿にありしほう/゛\を取て、頭より骨のまゝかり/\とか ぢりて、少も気付かざりしと、後ち給仕に出て此体を見たる士、駿河守に、 今日の客は気違ひなるべしと申せしに、駿河守、斯る事は他言すまじと制 止たり。とあり、蓋し熱心の余、前後を顧るに遑あらざるに出たるべくも、 其燥急にして余裕なき性行を察するに足る、既にして駿河守、江戸町奉行 に転ずるに及び、彼亦自ら覚る所ありてか、退隠して洗心洞書院と号して、 教授を事として世事に遠ざかれり、或はいふ、駿河守、江戸奉行に転じ、 其後任を跡部山城守(初名信濃守、又能登守)良弼命ぜられし日、良弼、 駿河守に大阪町奉行の心得を問ふ、駿河守答て、与力に大塩平八郎といふ 者あり、彼が心を失はざれば、大阪の事は座して弁ずべしと申せしかば、 良弼、大阪に至ると、平八郎を招く、後大に笑て、矢部は平八郎を以て斯 申せしが、予が見たる所にては、平凡にして唯僅かに行儀の堅くろしきの みと、是より平八郎を重んぜず、平八郎、不遇を覚りて退身せりと、天保 秘録等に見え、又一日、平八郎、天王寺に詣り、夜に入り、駕を雇ふて帰 る、途上駕舁ら大塩と知らずして、頻りに前年彼がなしたる妖婦の処刑を 語り、且いふ、大塩殿もこゝらが身を引く所なるべし、左もなくば今度の 新奉行に、讒言するものあらば、今迄の名も汚さるべしと語り合しを、平 八郎、駕にて聞、是天の我を戒る所なりと覚り、遂に退身したりと、難波 土産等に見えた、り、何れが是なるを知らずと雖も、平八郎の退老は、疾 くも人の嘱目せる所なりしならん、









川崎紫山
「矢部駿州」
その9


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