見聞随筆に、
駿河守、一日平八郎を招き、閑談数刻に及び、やがて夜喰を共にせしに、
談偶ま今を以て古に擬し、所謂時事の論に入り、甲是乙否、其酣なるに至
り、平八郎、皿にありしほう/゛\を取て、頭より骨のまゝかり/\とか
ぢりて、少も気付かざりしと、後ち給仕に出て此体を見たる士、駿河守に、
今日の客は気違ひなるべしと申せしに、駿河守、斯る事は他言すまじと制
止たり。とあり、蓋し熱心の余、前後を顧るに遑あらざるに出たるべくも、
其燥急にして余裕なき性行を察するに足る、既にして駿河守、江戸町奉行
に転ずるに及び、彼亦自ら覚る所ありてか、退隠して洗心洞書院と号して、
教授を事として世事に遠ざかれり、或はいふ、駿河守、江戸奉行に転じ、
其後任を跡部山城守(初名信濃守、又能登守)良弼命ぜられし日、良弼、
駿河守に大阪町奉行の心得を問ふ、駿河守答て、与力に大塩平八郎といふ
者あり、彼が心を失はざれば、大阪の事は座して弁ずべしと申せしかば、
良弼、大阪に至ると、平八郎を招く、後大に笑て、矢部は平八郎を以て斯
申せしが、予が見たる所にては、平凡にして唯僅かに行儀の堅くろしきの
みと、是より平八郎を重んぜず、平八郎、不遇を覚りて退身せりと、天保
秘録等に見え、又一日、平八郎、天王寺に詣り、夜に入り、駕を雇ふて帰
る、途上駕舁ら大塩と知らずして、頻りに前年彼がなしたる妖婦の処刑を
語り、且いふ、大塩殿もこゝらが身を引く所なるべし、左もなくば今度の
新奉行に、讒言するものあらば、今迄の名も汚さるべしと語り合しを、平
八郎、駕にて聞、是天の我を戒る所なりと覚り、遂に退身したりと、難波
土産等に見えた、り、何れが是なるを知らずと雖も、平八郎の退老は、疾
くも人の嘱目せる所なりしならん、
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