Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.4.13

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大塩の乱関係論文集目次


〔今 井 克 復 談 話〕
その8

吉木竹次郎速記 『史談会速記録 第6輯』 史談会 1893.7 所収


適宜改行しています。


 明治廿五年十月二十七日午前十時五十分今井克復君臨席

 〔乱暴の次第〕

寺師君 鴻池などを撃ち掛けた乱暴の次第は、如何でありました、

今井君 夫れは前回にも申しましたが、難波橋を渡ると鴻池善右衛門、平野五兵衛、天王寺屋五兵衛などが並んで居る、夫れに大砲を撃掛けまして、騒きバかりで金を出して遣ると云ふ様な事は出来ませぬでした、

寺師君 鴻池等には怪我人はござりませぬか、

今井君 ありませぬ、騒ぎの割に人は損じませぬ、

寺師君 大坂の焼けた戸数は多でありましやう、

今井君 戸数は多いが、町数は百町余りであります、

岡谷君 十九日から二十日、二十一日に亘て焼けましたが、

今井君 十九日の朝から二十一日夕方まで焼けた、大坂は東京とは違つて焼けるのは日間がいる、

 ○大阪人心の動揺

寺師君 当時市中の人気は大塩を褒める方でござりますか、憎む方でござりますか、

今井君 決して褒める方でない、一旦は暴権威を震ふたものでござりますから、皆恐れを為したもので、鬼神の様に申しまして、子供のヲドシにまでなつた様な事で、高井山城守が身分を取立て貰ふと思ふならバ、一旦引けと云ことを諭されたものであるから、自分は一旦与力の名を脱して仕舞はねバ江戸に出て取用ひられぬと思つたものであるから、山城守が転役をするなり引きました、

 ○切支丹宗法厳禁

寺師君 小説などて見れバ、山城守が信じたのは切支丹をする者を処分したる手柄でありますか、

今井君 其頃は怪しい事は皆な切支丹といひまして、其時分旧幕にて厳禁の三ケ条と云つて、各藩ではドうか知らぬが、将軍家の直轄には切支丹宗門、博奕諸勝負の事隠売女の事、此三つが大禁になつて居る、夫れを犯さぬと云ふことを連印をしてあるを巻きと唱へて折本になつて居て、一町に一つあつて借家人は構はぬが、家を持つて居る者は連印して外に又家族の者も書いてある、寺受証と云ふ物も有つて、夫れは戸長が連帯して奉行所へ出す、町内にも備へて有る、夫れが市中の戸籍改めである、

夫れ切支丹の京都の八坂に居つた婆を吟味したよりの誤聞で、夫ゆへに信したと申てはござりませぬ、

岡谷君 ドノ宮様の御内と唱へましたか、

今井君 有栖川宮と存します、

岡谷君 大塩の事は今日世間で言ふのとは丸で反対のものでありますナー、

今井君 丸で反対で、今でも居れバ各自のためになる様に言ひますが、丸で発狂人でござります、与力の弊風は習ひ性となつたもので、何でも勝気の強い男であるから癇の力でやり遂たので一通の者ではござりませぬ、

八木君 自分には悪事はせずありましたか、

今井君 別に賄賂も取らぬが与力一通りの事はやつた様子、河内屋と云ふ本屋などは代価も取らずにしまつた事もあつた様子、

 ○米価高直の事

寺師君 当時米価高く窮民多く、夫れを城代の方へ言つても頓着せず、夫れで大塩は自分の書物一万巻を売りて救与に出したと云ふ伝でありますか、

今井君 夫れは前回にも言ひましたが、売たは本当なれど、一万巻も有ることはない又政治の事に口を出す事はならぬ時ゆへさういふ事はありません、

寺師君 米価高直で苦しんだと云ふことは本当でありますか、

今井君 夫れは本当で、白米一升四十匁以上でありました、私共の生れたは文政三年で、其時は一石に付て三十七匁で、其時は旧幕から買持米をする様にと云ふことなどかありまして、鴻池抔を始として米を買て、米の直段を沈めました、夫れは格別な事でもないが、武家は米が安いと困つたものであるから諸民と反対でありました、

 ○大阪米相場の起因

相場は七代将軍が許されたもので、アレは米を空米より上げ下げする為めで、空米相場は幾度制禁があつても止みませぬ、軒下などで相場をする、夫れを追つ払つたりしたことがあつたを公然許されたから、吉宗公は神様の様に堂島などには言ひます、

正米を空米に引付ける為にて武家より申せバ安き時引上るを眼目の訳である米道大意と云ふ書物がある、夫れは米相場を許された時出来ました趣意書で、徳川家の方から此程聞かれたけれど、唯今では大坂にも其書物はござりませぬ、

其事は天保四年の巳年に高くて二百目も致しました、天保七年は尚を高く末々に至つては大根飯を食ふ様なことでありました、

寺師君 其当時頃は米の実りが悪いのでござりますが、俗説には鴻池抔と城代と相談して買占めと云ふ伝がありますか、

今井君 左様な事はございません、

早川君 米を入るゝに京都には十万石を限り、江戸は制限のないと云ふ極であつたとか、

今井君 其通りで、京都から大坂に五升、一斗位の米を買ひに下つた者がある、夫れを召取つたと云ふことはござりませぬが、さふいふことが始まつてはならぬと云ふことで、其人数を京都に送り返へしたことがある、

夫れを大塩は人間は徳川家の所轄のものに違ひないに、夫れに隔てを付るは不仁だと檄文に言つて居りますが、銘々支配々々の事でござりますから京都は京都、大坂は大坂で、配下の者を守る丈けの訳であるから、アレなどは迷惑な訳である、

寺師君 京都の人民は大坂の米の安いと云ふことを聞て来たのでありますか、

今井君 商買人ならバ有り勝の事、素人が端米を買ひに来た位を、夫れ位に言はぬでも宜いのであるに、併し小売は却て貧民に響くからであります、

寺師君 随分厳刻な処置のものでありますネー、

早川君 日本の 天皇陛下の膝下を制限してと云ふことが檄文中に見る、

今井君 夫々手続きの極りがある故奉行も仕悪いことであります、

寺師君 大塩は京都から内々御引合でもあつて、内命を受けてしたと云ふことはござりませぬか、

今井君 ドウ致しまして、京都に伝ひはござりませぬ、自分は大坂で働いた様に江戸でやらふ、名を揚げたいと云ふのが病で、夫れを用ひられぬので、クヨ々々思ふて発狂した事である、


檄文


〔今 井 克 復 談 話〕目次その7その9

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