吉木竹次郎速記
『史談会速記録 第6輯』 史談会 1893.7 所収
○天保八年丁酉二月十九日大塩平八郎変動の事実 附大塩の性行 ○大坂与力の弊習 ○切支丹婆豊田貢の話 ○弓削新右衛門の話 | 〔6400B〕 | |
その2 |
○大阪与力の格式 ○高井山城守の話 ○頼襄、佐藤一斎の話 | 〔5300B〕 |
その3 |
○天保酉年饑饉の事 ○大阪豪商の奢侈 ○余談 〔巡見〕 〔迎方与力〕 | 〔4500B〕 |
その4 |
〔惣年寄の仕事〕 〔奉行からの呼び出し〕 〔瀬田済之助、小泉淵次郎のこと〕 〔天満橋などの切り落としのこと〕 | 〔6300B〕 |
その5 |
〔城方への守備依頼のこと〕 〔徒党との出会いのこと〕 〔宇都木矩之丞のこと〕 〔質疑〕 | 〔6600B〕 |
その6 |
○天保八年丁酉二月十九日大塩平八郎変動の事実(続) 附大塩父子隠匿露見の話 | 〔10000B〕 |
その7 |
○徒党所刑の事 ○徒党人数 ○檄文の趣意 ○大塩の子入牢の事 | 〔4700B〕 |
その8 |
○〔乱暴の次第〕 ○大阪人心の動揺 ○切支丹宗法厳禁 ○米価高直の事 ○大阪米相場の起因 | 〔6200B〕 |
その9 |
○大阪儒者中井後藤篠崎の話 ○頼山陽の話 ○大阪与力の格式 ○〔大塩の容貌〕 ○大塩著書の事 | 〔4500B〕 |
今井克復君は大阪の人なり、代々大阪町惣年寄を勤められ、君も父祖の業を継ぎ年寄たり、天保八年丁酉二月十九日、与力大塩平八郎暴動の際は、公役を以て、町奉行の指揮を受け消防鎮撫に力を尽さる、尋て三月二十六日大塩父子を捕ふる時には、町奉行の命を承け、消防夫を指揮し、其隠匿所に就き父子火を放ち自殺するに至り、其死屍を捜出せる等、現に立合指揮せられたるなり、維新の際は 朝命を奉し、市政を監督せられ、大年寄等の職を尽し、頗る勤功多し、今閑散なり、