Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.9.6

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


「大 塩 平 八 郎」

その34

猪俣為治

『朝日新聞』1898.10.27 所収


朝日新聞 明治三十一年十月廿七日
大塩平八郎 (四十) 猪俣生

  其七 平八郎の学術と徳川時代(続)

然らバ則ち平八郎の太虚説ハ、孔孟の学に一致する所あるか、彼ハ之に就て謂らく、孔孟の聖学ハ太虚に透徹するに在りと、而して彼ハ之を証するに四書六経を以せり、則ち論語に在りてハ空々如及び回也屡空の章を引き、中庸に在りてハ上天之載の章を引き、孟子に在りてハ浩然の章、大学に在りてハ休々焉の章、易に在りてハ感の九四の彖辞、及び撃辞伝の大極生両儀の語を引きて之を証せり、而して平八郎ハ太虚の地位に到達すべき工夫を説きて曰く、非積陽明先生所訓致良知之実功、則不可至於横梁先生所謂太虚之地位と、又曰く人心帰乎太虚、亦自慎独克己而入焉と、然らバ平八郎の太虚ハ独慎致良知の工夫を積みて、心上一点の慾念邪思なき明塋(めいえい)透徹の心境を指せるものゝ如し、若し其説く所をして茲に止まらしめバ、之を領解する必らずしも難からず、然れども彼は更に一歩を進んで曰く、天不特在天蒼々太虚已也、雖石間虚、竹中虚亦天也と、又曰く躯殻外の虚、便亦天也と、則ち平八郎の外界の太虚ハ今日の学術より之を論ずれバ則ち空気を指すに似たり、然れども彼曰く、太虚非空即春夏秋冬之気、元亨利貞之理、【彳扁】布充満焉、而著乎物、則雖愚夫婦之心眼、猶視之面識之、未著於物、則大人君子不敢道眼見之、而黙而知焉耳、黙而知之理気、則非愚夫婦心眼之所及也、然則非空乎、曰非空、去人欲復天理、然后始知是言之非妄也と此語に因りて之を察すれバ平八郎の所謂太虚ハ、空気に非らず、真空に非らず、万物の原質を指すものにして、昔者(むかし)希臘のアイテニアン派の哲学者テールスハ、水を以て万物の本質なりと主張し、アラクリツトハ火を以て万物の本質にして変化の根元なりと主張し、又アナキミネスハ空気を以て万物の元素なりと主張せしに似たり、則ち彼ハ太虚を以て万物の因りて以て成立する所以の原質と、其原質の変化する作用とを併称したるなり、

然れども平八郎ハ其説をして此点に止めずして心中の太虚と外界の太虚とを連絡せんとせり、彼曰く方寸之虚与太虚、不可刻不通也、如隔而不通焉、則非生人也と説き、而して更に又一歩を進め、心ハ即ち太虚にして、太虚ハ即ち心なりと断定せり、彼曰く躯殻外之虚、便是天也、天者吾心也、心葆含万有、於是可悟焉耳、と又曰く、顔 子屡空、心虚帰乎太虚、而猶有一息、聖人則徹始徹終、一太虚而已矣と、説きて此に至りて頗ぶる語りて詳ならざるを覚ゆ、然れども審に説かざるの一事何ぞ平八郎の太虚説を累さんや、何となれバ太虚の真義ハ之を言詮の外に求むべきものなれバなり、而して彼ハ此太虚の理に拠りて、能く天人の理を悟るを得、能く死生を一にするを得、能く気質を変化するを得、能く良知を致すを得、能く虚偽を去るを得、一了万了、円満具足の境に至るを得たりと云ふに拠れバ、復何ぞ后人彼の太虚説に就て言語文字の上に之を非難するを得んや、斯の如くにして平八郎ハ太虚説に就て自得せり、而して世上を観察すれバ、其風俗の頽敗し人情の澆季(げうき)に赴むけるの光景、歴々として彼れの眼眸に映写し、恰かも秦鏡一たび高く懸りて、魍魎其形を隠す能はざるが如きものありし、


猪俣為治「大塩平八郎」目次その33その35

大塩の乱関係論文集目次

玄関へ