Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.9.7
玄関へ
大塩の乱関係論文集目次
「大 塩 平 八 郎」
その35
猪俣為治
『朝日新聞』1898.10.28 所収
朝日新聞 明治三十一年十月廿八日
大塩平八郎 (四十一) 猪俣生
其七 平八郎の学術と徳川時代(続)
平八郎の理想や此の如し、故に彼ハ世の称して以て英雄豪傑と為すものを罵りて曰く、
英傑の大事に当るや固より禍福生死を忘る、而かも事適成るや、則ち亦或ハ禍福生死に惑ふ、学問精熟の君子に至りてハ則ち一なり、
又曰く、
夫古今の英雄豪傑多くハ情慾上より做し来る、情慾上より做し来れバ、則ち驚天動地の大功業も、要するに夢中の技倆のみ、
政治家を罵りてハ曰く、
聖賢の権を行ふや、仁義忠信の窮を済ふなり、仁義忠信之を待つて以て世に行はるれバ、則ち上下治る、奸悪の権を行ふや己を利し人を害するの私を為す、而して利己害人之に因りて以て世に施さゞれバ則ち風俗壊(やぶ)る、
又徒らに文墨に耽るものに就てハ則ち曰く、
学人先づ其良知を明にし而して平日心に蘊ふるものを以て、物に触れことに感じて吐きて詩文と為せバ則ち詩文ハ聖道を学ぶを助くるもの、何の害か之れ有らん、若又良知を明にせずして、徒らに筆墨を弄し、以て名を売り誉を求めバ、則ち道と大に背馳す、要するに彫蟲の小枝、豈惜む可けんや、
彼の世を傷み時を慨せしや以て見る可し、夫れ聖学を闡明して道徳を明にし、以て人心の革命を計るハ立言家の事なり、制度を変更し、時弊を救済し、以て社会の革命を計るハ事功家の事なり、一ハ精微高遠、奥妙行ふ能はざる底の絶頂に在りて説き、他ハ石火電光、機変言ふ能はざる底の道を岸頭に立ちて事を行ふ、前者の期する所ハ百世の綱常を扶植するに在りて、後者の志す所ハ一代の時難を救済せんと欲するに在り、而して徳川当時の学術界の現状を観れバ平八郎ハ立言家たらざるを得ざりき、是故に彼ハ奮ふて学術を振起するの任に当れり、然れども時勢の刺激ハ彼に事功家たるを促せり、是に於て彼ハ立言家より転じて事功家と為れり、筆を擲ちて劔に代へたり、茲に至りて聖賢の学術を行ふに、英傑の作略を以てせんとするものなり、是れルーソーと、ロベスヒールを合して一人と為したる者なり、復た何ぞ天保の一挙の烈々轟々として一世を震撼せんを恠しまんや、
平八郎甞て明史の月娥(げつが)の伝を読み、其寇(あだ)至り城陥るや、月娥が吾詩礼の家に生る焉んぞ節を賊に失す可けんやと慨歎して、幼女を抱き水に赴きて死するの一節に至り、巻を掩ふて慨然として曰く、
劔佩冠裳、降を売りて後るゝを恐るゝの徒、此の娥眉に対して何の面目あると、乃ち詩を賦して曰く、
汚身不独河間婦、
天下男児多亦然、
月娥何者耻詩礼、
水上流尸顔尚研、
嗚呼汚身不独河間婦天下男児亦多然、平八郎の義に死せし心事ハ即ち月娥の節に死せし心事なりしなり、噫、
猪俣為治「大塩平八郎」目次/その34/その36
大塩の乱関係論文集目次
玄関へ