その18
『朝日新聞』1898.10.8 所収
朝日新聞 明治三十一年十月八日
大塩平八郎 (廿二) 猪俣生
一 尭舜事功、孔孟学術、此八字ハ是終身の急務或人問ふ、尭舜事功、孔孟学術ハ何の処より手を下さん、曰く天地万物を以て一体と為す、此ハ是孔孟の学術、天下万物をして各其所を得せしむ、此ハ是尭舜の事功、総て是一箇の念頭より来る、
一 学必らず相講じて後明に、講必相直して後尽く、孔門の師友の窮問極言を厭はず、相然諾承順せざるハ、所謂審問明弁するなり、此時に当りて学道大に明に、雲を撥(ひら)き霧を披くが如く、白日青天、繊毫の障蔽なし、講学須らく此の如くなるべし、堅く自から是とするの心なきハ、悪人の相直とするものなり、
一 上吐下瀉の疾、日に飲食を進むと雖も憔悴に補なく、入耳出口之学、日に講究を事とすと雖も身心に益なし、
一 只人々我心を去り了せバ、便(すなわち)是天清地寧の 世界
一 徳性中より来るものハ生死不変、識見中より来るものハ則ち時ありて変ず、故に君子識見を以て徳性を養ふ、徳性堅定なれバ則ち生ずべく死すべし、
一 昏弱の二字是立身の大業障、此二字を去り得ずんバ一分の好人を傚し出さず、
一 世間一件驕る可きの事なし、才芸人に驕るに足らず、徳行ハ是我性分の事、尭舜周孔に到らずんバ便是缺欠なり、便自から耻づ可し、如何ぞ人に驕り得ん、
一 天下至精の理、至難の事、若し潜玩沈思して之を求めて厭ふなく躁ぐなくんバ、中人以下と雖も未だ得ざるものあらず、
一 読書能く人をして過を寡くせしむ、独り理を明にするのみならず、此心日に道と親しめバ、邪念自から得て之に乗せず、
一 古の学者ハ心上に在りて工夫を做(な)す、故に之を外面に発すれバ、盛徳の符たり、今の学者外面に在りて工夫を做す、之を心に反すれバ則ち実徳の病たり、
一 事々実際あり、言々妙境あり、物々至理あり、人々処法あり、学に貴ぶ所のものハ此を学ぶのみ、地として学ばざるハなく、時として学ばざるハなく、念として学ばざるハなく、其全に会し其極に詣らずんバ止ず、此之を学者と謂ふ、今の問学者果して此の如きか、心を浩澣博雑の書に留め、志を靡麗(ひれい)、刻削の辞に役し、心を鑿真乱俗の伎に耽らし、勝を煩労苛瑣の儀に争ふ、哀しむべし、而して酔夢者又貿々昏々として癡(ち)の如く病の如く、華衣甘食して心を用ゆる所なし、哀ざる可けんや、是故に学者好学を貴び、知学を貴ぶ、
一 天地万物其情一毫も吾身と相干渉せざる者なく其理一毫も吾身と相明にせざるものなし、
一 凡字経伝に見えず、語義理に根せずんバ、君子諸を口に出さず、
一 古の君子其無能を病むや之を学び、今の君子其不能を恥づるや之を諱む、
一 有志の士百行兼備、万善具足するを要す、若し只一種の人と作(な)り、径々自から守り、沾(てん)々自から多とせバ這便(これすなわち)長進せず、
一 学問の道 便是正なり、博雑にして一ならざれバ則ち真ならず、真ならざるときハ則ち精ならず、万景の山に入る、処々遊ぶに堪へたり、我が原一所に到るを要す、足脚を乱了するを休めよ、万花の谷に入る、朶(だ)々観るに堪へたり、我原一枝を折らんと要す、只花の眼を休めよ、
一 心得の学、口耳者と道ひ難し、口耳の学、心得者の前に到れバ、権度の軽重に於けるが如し、長短一毫も掩護し得ず、
一 大学一部の書、明徳の両字を統(す)べ、中庸一部の書修道を統ぶ、
于時文政八乙酉正月十有四日