学堂の西掲には王陽明が龍場の諸生に示せる立志、勧学、改過、責善の四篇を挙げ、学堂の東掲には呂新吾の学に関する語十七條を挙げ、以て門生日夜の訓戒となせり、
始めて入学するものあれば、中齋先づ之れに「入吾門学道以忠信不欺為主本」の主意を告げ、塾中にありては必ず之れを守るべく、守らざれば、手打にすべしといへり、
疋田竹翁の談話中に云く、
十二三才の時から十六歳の頃までは藩の塾で、朱子学をやつて居りましたが、ほんの素読計りで一年に 二回づヽ試めしが御座りまするが、もうはや字さへ読めば、それでよいて云ふ様な有様で、ちつともためにはなりませんで御座りました、それから大塩の所へまゐりましてからはすっぱり違ひます、句読などは少しも御座りませぬ、講義計りで、其講義も活きて働かすと云ふのが本意で御座りまするから中々きつう御座ります、初めて参りました時に「入吾門学道以忠信不欺為主本」、これが陽明先生の語じや、己れが塾へきて不忠不信な行ひがあったり人を欺く様な奴は手打ちに致すが、それ承知あらば来たれ、ヘい己に門下に列りましたる已上は、固より覚悟の上で御座ります決して自らやましいことは、御座りませんと云へば、そんなら居れと云ふ様な風で、初めて参りた者は皆びりついて震へ上ります、