『異説日本史 第6巻』雄山閣 1932 より
五 二つの評語
大塩平八郎の乱は、社会主義色彩を多分にもつてゐるため、彼の学風と共に後世までとかくの関心を注がれてゐる。吾人は、こゝには二つの短評を抄しておかう。一つは森鴎外の『大塩平八郎』の附録に見える言葉である。
この二つの道が塞がつてゐたので、平八郎は当時の秩序を破壊して望を達しようとした。平八郎の思想は未だ醒覚せざる社会主義である。
平八郎は哲学者である。併しその良知の哲学からは、頼もしい社会政策も生れず、恐ろしい社会主義 も出なかつたのである。
陽明学は極端な唯心論で、知行合一といふ実践的教理に立つてゐる。知識と行動との実践的統一、知は行の始であつて行は知の成であるといふ理想、この陽明学の根本的教理が、平八郎の堅い信念であつた。この理想に基づいて彼は叛乱を起した。今日からすれば些も恐しくもないが、時代を見ねばならぬ。当時にすればこの哲学から『恐ろしい社会主義』(鴎外)が生れた訳ではなかつたか。