Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.10.8訂正
2000.10.4

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


田中従吾軒翁の「大塩平八郎の話」を読みて と題せるを読みて初月楼主人に与ふ

一点外史

読売新聞 1896.10.4/5 所収

         

読売新聞 明治二十九年十月四日

田中従吾軒翁の「大塩平八郎の話」を読みて と題せるを読みて初月楼主人に与ふ  一点外史

足下大塩平八郎の事に就き種々稠密に調査せられたるハ実に喜ぶ可く謝す可きの事なれども未大塩挙兵の実際を看破すること能はず且従吾翁の言を誤解したるハ惜む可きの事にこそ

足下ハ名家談叢第十二号を誤読せしや明なり、同号十九頁「一体岡田弘安と云ふ人ハ」と云ふ処を足下ハ宇津木の事を書きし事と誤解せるなり足下言はずや「静区いかで頼まれて其門下生たる人ならむや」と誰れか宇津木ハ大塩に頼まれて門下生と為りしと云ひしぞ足下少しく前後の文章を通観せよ従吾翁ハ決して宇津木ハ大塩に頼まれて門下生となりしとハ云ざるぞ宇津木ハ頼まれて塾頭と為りしとハ言ひしも所謂「マア門下生と云ふ如き者」とハ岡田の事なり此記事ハ岡田弘安が従吾翁に語りし事に基きて翁が話せしと云ふ事を既に岡田の話に基きし以上ハ如何に岡田が大塩の事に就きて能く知り居るや岡田が如何にして大塩の側に居りて見聞することを得しやとの二ケ条を説きて岡田が確実なることを明にせん為め即ち此記事の証拠とし立つる者なること明かなり而して岡田ハ其師宇津木に従て大塩の塾に入りし者なれバ即ち門下生の如き者なり然らバ岡田の師なる宇津木ハ何に由りて大塩の塾へ入り岡田も共に入りしやと云ふことを説かざる可からざる故に従吾翁ハ宇津木を出して岡田が大塩の塾へ入りし次第をバ明かにせしなり然るに足下ハ之を宇津木の事のみと誤解し其説を求めんが為めに宇津木伝を引きて宇津木の頼まれて門下生と為る人に非ずと論ぜられしハ御苦労千万名家談叢を読みたる人は足下の如き誤解を為せし人ハ無かるべし(未完)


読売新聞 明治二十九年十月五日

田中従吾軒翁の「大塩平八郎の話」を読みてと題せるを読みて初月楼主人に与ふ(承前)  一点外史

又最も笑ふ可き事は足下が引証したる宇津木伝ハ従吾翁が弱年の時に岡田と几案に相対して岡田の口づから話せし所の者を漢文に直したる者なりとは長崎の岡田まで問合はせるも差支無き程の者にて全く従吾翁が物せし者なりしとハ翁を知る者の皆知る所なり足下之を引きて翁の誤謬を正さんとするハ何の心ぞや况や誤謬に非ずして足下の誤解なるをや此故に予ハ今世の俗学者流の小に拘はりて大を遺れ自ら以て得たりと為すの愚物否狡獪を悪むなり

翁が跡部山城守を跡部大炊頭と云ひしハ速記者の誤写なること彼自から之を語れり其ハ「おーいおーい親父殿」云々の歌を「土井大炊跡部殿」云々と俗謡として当時に流行せしことを話したる故に此誤謬を来せしなりと足下の此誤を正したるハ尤なる次第なり然れども従吾翁が「前の町奉行ハ皆大塩に任置きたり」と云しを撃て前のに非ずして前々の町奉行高井山城守なりと云しハ是亦穿鑿過たることにて唯前のとのみ云はゞ前々にまれ前々々にまれ少しも差支なしと断言するを得るなり又た矢部駿河と跡部とを並べ称するの不可を論ぜられたれど矢部も跡部も共に当時有名なる町奉行なりしかバ之を対挙するも毫も不可なることなけん以上論ずる所ハ此記事の枝葉にして客として出し来りしことなれバ従吾翁も左のみに気を止めざりしなる可きが其眼目たる挙兵の一事に至りてハ足下の見ハ俗物愚輩の徒の言のみ是此記事の眼目を足下ハ未だ解する能はざる者なりと認定したるなり予ハ断じて言はんとす大塩の挙兵ハ翁の言実に時勢と境遇とを察したる明言なりと足下ハ「翁に勧む挙兵の檄を読めよ勤王勤民の大義を発揮して余薀無し」と言ひしが足下ハ大塩を余り買ひ被りたる人なり大塩の檄文に眩惑されたる人なり檄文ハ人を感動せしめて己れの味方とし用ひんと欲する故大義名文を唱ふるハ当然の理なり足下未だ司馬子長の史記一部を読まざるか漢高兵を挙げし時三老董公道を遮りて何んと云ひしぞ「義帝を弑する者を撃んと宣言せバ士皆之に帰せん」と言はざるや宣言せバの一言以て漢高の真に義帝の為めに兵を起したりしに非るを知るに余りあらん要するに余の見に依れバ大塩ハ学問も素人にて義理などを解せる人にハあらず唯乱暴寧ろ狂人に近し唯口にて強き言を吐く故俗輩ハ慷慨家などと云ふなり又大塩ハ陽明学を修めて洗心洞箚記など云ふ書を著せしかども到底陽明学も禄にハ解すること能はざりし人なり然るに後世俗学者流が大塩を大学者の如く吹聴するハ寧ろ抱腹の次第なり

鴻池等より金を出させたる事ハ足下の説く如くなる可し又速記者より聞き得たるに彼の記事中金助と金之助と両人の名あれども金之助とハ弦之助の誤りにて敵味方を転倒せりと翁より云ひ来りて跡部山城守と二ケ所の正誤を嘱せられたるに十三号に正誤せざりし為め足下の攻撃ありしハ最もなり(完)


初月楼主人「田中従吾軒翁の「大塩平八郎の話」を読みて
田中従吾軒「大塩平八郎の話
田中従吾軒「再び大塩平八郎に就て

大塩の乱関係論文集目次

玄関へ