Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.12.23

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その106

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第二十二席 (1)

管理人註
   

 茲に平野在……平野在と申しますと、今日では東成郡、平野郷町の在方 の事でございます、此処に百姓で喜兵衛と云ふ者があつて、此喜兵衛の娘 のおきぬと云ふのは、今年は十九歳になります、蔭裏の豆と何とやらで、 色気盛り、夫れにツイ近頃まで大阪の方へ、下女奉公に往つて居りました                    きれう ので、田舎風がすつかりなくなり、夫れに縹緻と云つても満更でない処か ら、村の若い衆がお絹さん/\と云つて喜兵衛の家へ詰掛けて来る、大勢 の若い衆は、お絹の歓心を買ふ為めと、両親からまづ手に入れて置うと思                           うち ふので、時々何かと手土産を持つて来たり、また喜兵衛の家の庭の掃除を           まんま したり、水を汲む、お飯炊きの手伝ひなどをするので、喜兵衛も大目に見             よりば て居りますので、若い衆の寄場のやうになつて了ひました。  今日も留吉、作十、新八など云ふ、いづれも村では随分巾を利かして居 る若者が出て来て、台所の囲炉裏を取巻き。  『お絹さん、お前大阪へ往つて、大層美しくなつて帰つて来たねエ』  『嫌だよ留さん、そんな事ばかり云つてからに』      ほんとう  『イヤ真実だよ、ナア作十』  『さうだ、留公の云ふ通りだ、併し何だよ、大阪へ往つて美しくなつ たんぢやアねへよ、土台から美しう生れて来たんだ』                        とんび  『然うだ、喜兵衛さんにやア済まねえけれど、鳶が鷹を産んだと云ふ のは此事だらう』         の ら  ひま              あいて  と三人は此頃農業も閑な処から、昼間であるがお絹を対手にして、ワイ /\と云つて居ります、処へ入口から。  『御免なさいまし』               し よ  と云つて背に荷箱の包みを背負つて這入つて来たのは、此間から一二度      あきうど 出て来る旅商人の小間物屋でございます。                          びん  『何ぞお買ひなすつて下さい、大阪島の内小倉屋の鬢附、小笹紅、ま    いろ/\ た櫛も種々新形がございます』  三人の若い衆は、お絹に何か買つて遣つて喜ばさうと思ひますから。                           こつち  『オゝ小間物屋さん、丁度宜い処へ来なすつた、サア此方へ這入つて   おろ 荷を下して見せなさい』  『ヘイ有難う存じます』  と荷を上り口へ下して、腰を掛けますと、喜兵衛が見て。  『オイコレ、此米高で御時節の悪いのに、小間物なんぞ買ふ奴がある かい、荷を解かずに帰りなさい』    おとつ                      おしろい  『阿父さん、またお前、そんな事を云つて、私はモウ白粉が無くなつ たので、大阪まで買ひにでも行かうと思つて居た処だ』                  ● ● ●  『大阪へ奉公に遣つた計りに、やつす事ばかり覚えて着やアがつた』  留吉が傍から。  『喜兵衛さん、心配しなさんな、お絹坊に銭を使はせはしないよ、白 粉は私が買つて遣るのだ、サア小間物屋さん、荷を解いて見せな』  『ヘイ、有難う存じます』        そろ/\  と小間物屋は叙々風呂敷を解いて、荷箱を並べますと、お絹の目には、 この 好もしいのが沢山あります、喜兵衛は苦い顔をして。


幸田成友
『大塩平八郎』
その160 

中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その3 


『大塩平八郎』目次/その105/その107

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