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茲に平野在……平野在と申しますと、今日では東成郡、平野郷町の在方
の事でございます、此処に百姓で喜兵衛と云ふ者があつて、此喜兵衛の娘
のおきぬと云ふのは、今年は十九歳になります、蔭裏の豆と何とやらで、
色気盛り、夫れにツイ近頃まで大阪の方へ、下女奉公に往つて居りました
きれう
ので、田舎風がすつかりなくなり、夫れに縹緻と云つても満更でない処か
ら、村の若い衆がお絹さん/\と云つて喜兵衛の家へ詰掛けて来る、大勢
の若い衆は、お絹の歓心を買ふ為めと、両親からまづ手に入れて置うと思
うち
ふので、時々何かと手土産を持つて来たり、また喜兵衛の家の庭の掃除を
まんま
したり、水を汲む、お飯炊きの手伝ひなどをするので、喜兵衛も大目に見
よりば
て居りますので、若い衆の寄場のやうになつて了ひました。
今日も留吉、作十、新八など云ふ、いづれも村では随分巾を利かして居
る若者が出て来て、台所の囲炉裏を取巻き。
留『お絹さん、お前大阪へ往つて、大層美しくなつて帰つて来たねエ』
絹『嫌だよ留さん、そんな事ばかり云つてからに』
ほんとう
留『イヤ真実だよ、ナア作十』
作『さうだ、留公の云ふ通りだ、併し何だよ、大阪へ往つて美しくなつ
たんぢやアねへよ、土台から美しう生れて来たんだ』
とんび
新『然うだ、喜兵衛さんにやア済まねえけれど、鳶が鷹を産んだと云ふ
のは此事だらう』
の ら ひま あいて
と三人は此頃農業も閑な処から、昼間であるがお絹を対手にして、ワイ
/\と云つて居ります、処へ入口から。
△『御免なさいまし』
し よ
と云つて背に荷箱の包みを背負つて這入つて来たのは、此間から一二度
あきうど
出て来る旅商人の小間物屋でございます。
びん
△『何ぞお買ひなすつて下さい、大阪島の内小倉屋の鬢附、小笹紅、ま
いろ/\
た櫛も種々新形がございます』
三人の若い衆は、お絹に何か買つて遣つて喜ばさうと思ひますから。
こつち
新『オゝ小間物屋さん、丁度宜い処へ来なすつた、サア此方へ這入つて
おろ
荷を下して見せなさい』
△『ヘイ有難う存じます』
と荷を上り口へ下して、腰を掛けますと、喜兵衛が見て。
喜『オイコレ、此米高で御時節の悪いのに、小間物なんぞ買ふ奴がある
かい、荷を解かずに帰りなさい』
おとつ おしろい
絹『阿父さん、またお前、そんな事を云つて、私はモウ白粉が無くなつ
たので、大阪まで買ひにでも行かうと思つて居た処だ』
● ● ●
喜『大阪へ奉公に遣つた計りに、やつす事ばかり覚えて着やアがつた』
留吉が傍から。
留『喜兵衛さん、心配しなさんな、お絹坊に銭を使はせはしないよ、白
粉は私が買つて遣るのだ、サア小間物屋さん、荷を解いて見せな』
△『ヘイ、有難う存じます』
そろ/\
と小間物屋は叙々風呂敷を解いて、荷箱を並べますと、お絹の目には、
この
好もしいのが沢山あります、喜兵衛は苦い顔をして。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その160
中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その3
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