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さま ねどころ
処が五郎兵衛、フト目を覚して便所へ行き、再び寝所へ這入らうとする
かど なんどき
と、門の戸を叩く者がある、ハテモウ何時であらうか、今頃に誰が来たの
かと思ひながら、店の庭の処へ往つて見ると。
△『モシ/\、お前さん処の軒下に、捨子がしてあります』
◎『モシ美吉屋さん、捨子がしてあります』
と二人の男の声と共に、オギヤア/\と赤児の泣声がする。
五『何だへ、私の家へ捨児をした奴がある……そいつは大変だ、オイコ
レ伊助、佐兵衛、一寸起きて呉れ、捨児をした奴があるさうだ』
なか/\ おもて
と呼び起しても若い者だから、却々起きやアしない、戸外では頻りに赤
児の泣く声がする。
五『オイ/\早く起きないか、モウ夜明けだ』
すると戸の外では大きな声をして。
あん このこ
△『美吉屋さん、余まり泣くから、此児は私が兎も角も、乳のある処へ
いつ
連れて往て遣るから……、オゝ泣くな/\、今お乳を飲まして遣る、ホラ
好い子だ泣くな/\』
ど こ
と云ひながら、泣く児を何方へか連れて往つた様子、間もなく信濃町の
会所から小使が遣つて参りまして、美吉屋の戸をトン/\/\。
使『美吉屋さん、信濃町の会所から参りました、捨子の事で一寸旦那に、
会所までお出で下さいまし』
五郎兵衛は是れを聞きまして。
すぐ
五『ハイ御苦労、今直に行きます……夫れ見ろ、如何したつて掛り合ひ
になるんだ、何だつて夜明け時分に、捨子なんぞをしやアがるんだ』
うがひ つか
と呟きながら、手早に嗽水を遣つて。
つ
五『オイ、モウ夜が明けるが、私が往つた跡は、能く気を注けなさい』
と夫れとはなしに女房のおつねに注意をして、五郎兵衛は入口の戸を開
けて表へ出て見ると、会所から来た使の者の外に、二三人も手先らしい男
が居ますから、胸にギツクリ、もしやと思ひましたが、併しモウ逃げる訳
にもなりません、そこで心配をしながら信濃町の会所へ参りました、美吉
屋の表へ捨子があるやうにして見せたのは、是れは全く手先の長吉が、五
郎兵衛を釣出す為めの策略で、長吉は何処かで赤児を一寸借りて来て、美
吉屋の軒下へ連れ行き、態と其子を泣せたのだ、実際赤児が泣いたのだか
づか
ら、五郎兵衛だつてまさか斯う云ふ策略とは心注ない……唯今の刑事巡査
いろ/\
でも、職務上種々の苦心を致しますが、昔でも矢張り同じ事で、捨子の真
似までもせんければなりません。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その160
その193
中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その3
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