Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.12.31

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その114

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第二十三席 (5)

管理人註
   

 『ウム、廿四日の夜は大雨風であつた』                              ほか  『いつもの通り、私は奥の間に、また家内は次の間に、その他の者は 二階に、唯今仰しやいました下女は台所で寝て居りました、処がアノ雨風、                  てう 私は夫れが気になつて眠られません、恰ど初夜過ぎでございました、表の   しづか                            ばな 戸を徐に叩くやうに思はれますので、下女を呼び起しましたが、寝入端で                 どなた 目を覚しませず、私は庭に下りて、何誰ぢやと尋ねました処が、備前島町              つかひ の河内屋八五郎の処から来た使ぢやと申しますので、其八五郎とは平生懇                    かんぬき はづ 意の間ネでございますから、オゝ然うかと閂を外して、入口を開けました                          ぼ ん 処が、菅笠を着て、鼠色の木綿合羽に脇差をさした、僧侶さんのやうな二   じん        ば 人の人が、草鞋穿きでズツと這入り、早く跡を閉めよと申しますので、私         びつく は泥棒かと思つて吃驚りして居る間に、草鞋を脱いでツカ/\と座敷へ通 りました、入口を締めて、私も其跡から往つて居ますと、其二人は平八郎            えら 様と格之助様、南無三、豪い人が出てござつたと存じて居りますと、平八                   ゆる/\ 郎様の仰しやるには、今度の事はいづれ緩々詳しい事を話すが、私等親子    かくま      いは を当分隠匿つて呉れと云れました』  『ウム、然う云つて頼んだから、今日まで隠遁ひ居つたのか』  『イゝエどう致しまして、其時に私は斯う申しました、誠にお気の毒 とは存じますが、貴下方は厳しいお尋ねもの、万一にも隠遁つた事が、知 れましてはと、お断りを申しました処が、斯様に頼んでも承知致し呉れね ば、是非に及ばぬ、此家に火を放して家内の者を残らず焼殺して了ふと云 はつしやります、また格之助様は脇差の柄に手を掛けてござるぢやござい ませんか、私一人が殺されるのなら致し方がないと諦めも致しますが、家 を焼かれては、家内一同焼殺され、近所へも迷惑のかゝる事と存じまして、 余儀なく承知をいたし、女房共にだけ委細の事を打明けまして、娘をは             さ と                  じめ奉公人等には、一切推知られぬやうに心を附け、幸ひ人の気の注か    ぬ一室がございますので、其処へ二人を入れまして、三度の食事も、最初               のけ 一日二日は、私と家内の分を取除て置いて、私が自分で密かに運んで居り        のち              たち ました、処が其後一両日経ちましても、一向にお立になる気色もございま       ひかず             もと         どうぞ せんので、日数が重なりましては、露顕の基ゐとなりますから、何卒御出             立を願ひますと、私は立退きの催促をいたしました』  『然うすると、平八郎等は何と云つた』  と尋ねました。


幸田成友
『大塩平八郎』
その160 
その193 

中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その3 
 


『大塩平八郎』目次/その113/その115

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ