Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.1.4

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その115

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第二十四席 (1)

管理人註
   

 『私が催促をいたしますと、まだ時節到来をせぬに依つて、今暫らく 忍ばせて置いて呉れ、嫌だ、ならぬと云ふのなら、家に火を放して一同を                          かくま 焼殺すと、また斯ういふ乱暴な事を云はれますので、一旦隠匿ひましたる     ど う        のが 上は、如何で其罪は遁れる事も出来まいと存じ、併し斯うして居ては、自                        ゐたく 然家内の者の目に触れるに違ひないと存じまして、居宅の裏手に、庭を隔 てました離れ座敷がございます、其空家同然の処へお二人を入れまして、    にち/\かみほとけ      おせんまい 食事は日々神仏に供へる御洗米といふ事にして、私の手許へ取つて紙袋に      そつ 詰め込み、窃と大塩様へ渡しまして、炭火で勝手にお炊きなさる事にして、   こうのもの                   のち       やちう 塩に香物、梅干なども私が差上げて居りました、其後に私は、夜中家内の                                 おそろ 者が寝鎮りましてから、密に其離れ座敷へ参つて容子を見ますと、実に怖 しいと申しませうか、座敷の戸障子へ沢山穴を開け、其処へ蒲団の綿を引         やきぐさ 出して詰め込み、焼草にしてございました、ハツと思ひましたが、夫れと             ど う なく、全体貴下は此後、如何なさいますお考へかと尋ねました処が、貴様 達の知つた事でない、深い所存がある事だと云つて、何事もお話しはござ        しひ いませず、また強て尋ねましたら、焼殺すと云はれると存じ、悪いとは知 りながら、今日まで隠匿ひ置きましてございます』                 かたはら てうだい  と逐一に申し立てました、委細を傍で町代の者と、同心が筆記をして居 ります、内山彦次郎は、傍に居りました、同心河合善八郎に何事をか申含 めますと、善八郎は直ぐに会所を出て行きましたが、其跡で彦次郎は。  『五郎兵衛、平八郎は其方の家に参るまで、何処にどうして居つたと 云ふ事は、定めて其方に話したであらうから、其次第をも申し述べよ』  と云はれて、モウ斯うなつては、隠す気もございませんから、五郎兵衛 は平八郎から聞取りましたる事を、此処で内山彦次郎へ話すのでございま すが、それを五郎兵衛の対話体にして申しましては、唯今の自白と同じや                            つもり      ま うになりますから、茲は実地を其儘で申述べますから、其お心算で……前                    いよ/\ 席にも述べました通り、二月十九日の夕方、愈 望みを達する事が出来な いと思つたので、大塩平八郎父子は、瀬田済之助、其他十余名の者と、平 野町から避難者に紛れ込んで、八軒家まで遁れ行き、此処で直吉と云ふ者           なかば の船に乗つて、大川の中央へ漕ぎ出させた事は、白井孝左衛門と杉山三平                            さ と のお話しで既に申上げましたが、船頭の直吉も大抵夫れと推知つたと見え       うつか て、こりやア迂りとして居て、掛かり合ひになつては大変だと思ひ。  『エゝ旦那方、実は私の親は病人でございまして、いつも日が暮れる                              きえ と私の帰るのを待つて居ります、殊に今日は大火事で、まだ火は消ませず、                         あ が 定めて心配をして居りませうから、モウ貴下方も、上陸つて下さる訳にや ア参りますまいか』         そ ち  『最前から其方は度々上座つて呉れと申すが、船賃は過分に遣はすか      せは ら、左様に忙しく申すな』                           ふところ  と高橋九右衛門に何やら小声で命じますと、九右衛門は懐中から金子二 両を取出しまして。


幸田成友
『大塩平八郎』
その160 
その193 

中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その3 















焼草
火勢を助けるため
の草


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