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五『私が催促をいたしますと、まだ時節到来をせぬに依つて、今暫らく
忍ばせて置いて呉れ、嫌だ、ならぬと云ふのなら、家に火を放して一同を
か かくま
焼殺すと、また斯ういふ乱暴な事を云はれますので、一旦隠匿ひましたる
ど う のが
上は、如何で其罪は遁れる事も出来まいと存じ、併し斯うして居ては、自
ゐたく
然家内の者の目に触れるに違ひないと存じまして、居宅の裏手に、庭を隔
てました離れ座敷がございます、其空家同然の処へお二人を入れまして、
にち/\かみほとけ おせんまい
食事は日々神仏に供へる御洗米といふ事にして、私の手許へ取つて紙袋に
そつ
詰め込み、窃と大塩様へ渡しまして、炭火で勝手にお炊きなさる事にして、
こうのもの のち やちう
塩に香物、梅干なども私が差上げて居りました、其後に私は、夜中家内の
おそろ
者が寝鎮りましてから、密に其離れ座敷へ参つて容子を見ますと、実に怖
しいと申しませうか、座敷の戸障子へ沢山穴を開け、其処へ蒲団の綿を引
やきぐさ
出して詰め込み、焼草にしてございました、ハツと思ひましたが、夫れと
ど う
なく、全体貴下は此後、如何なさいますお考へかと尋ねました処が、貴様
達の知つた事でない、深い所存がある事だと云つて、何事もお話しはござ
しひ
いませず、また強て尋ねましたら、焼殺すと云はれると存じ、悪いとは知
りながら、今日まで隠匿ひ置きましてございます』
かたはら てうだい
と逐一に申し立てました、委細を傍で町代の者と、同心が筆記をして居
ります、内山彦次郎は、傍に居りました、同心河合善八郎に何事をか申含
めますと、善八郎は直ぐに会所を出て行きましたが、其跡で彦次郎は。
彦『五郎兵衛、平八郎は其方の家に参るまで、何処にどうして居つたと
云ふ事は、定めて其方に話したであらうから、其次第をも申し述べよ』
と云はれて、モウ斯うなつては、隠す気もございませんから、五郎兵衛
は平八郎から聞取りましたる事を、此処で内山彦次郎へ話すのでございま
すが、それを五郎兵衛の対話体にして申しましては、唯今の自白と同じや
つもり ま
うになりますから、茲は実地を其儘で申述べますから、其お心算で……前
へ いよ/\
席にも述べました通り、二月十九日の夕方、愈 望みを達する事が出来な
いと思つたので、大塩平八郎父子は、瀬田済之助、其他十余名の者と、平
野町から避難者に紛れ込んで、八軒家まで遁れ行き、此処で直吉と云ふ者
なかば
の船に乗つて、大川の中央へ漕ぎ出させた事は、白井孝左衛門と杉山三平
さ と
のお話しで既に申上げましたが、船頭の直吉も大抵夫れと推知つたと見え
うつか
て、こりやア迂りとして居て、掛かり合ひになつては大変だと思ひ。
直『エゝ旦那方、実は私の親は病人でございまして、いつも日が暮れる
きえ
と私の帰るのを待つて居ります、殊に今日は大火事で、まだ火は消ませず、
あ が
定めて心配をして居りませうから、モウ貴下方も、上陸つて下さる訳にや
ア参りますまいか』
そ ち
平『最前から其方は度々上座つて呉れと申すが、船賃は過分に遣はすか
せは
ら、左様に忙しく申すな』
ふところ
と高橋九右衛門に何やら小声で命じますと、九右衛門は懐中から金子二
両を取出しまして。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その160
その193
中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その3
焼草
火勢を助けるため
の草
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