Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.1.5

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その116

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第二十四席 (2)

管理人註
   

 『コレ船頭、サア此金子を船賃に遣はすから、モウ少し我慢をしろ』  直吉は二両の金を手に受けて驚きました、其頃船賃の高い、大阪名物の 天神祭りの日だつて、一艘の船で、二両の船賃などが取れるものではない                          いよ/\ のだから、嬉しいは嬉しいが、余り沢山の船賃だから、愈 此人達は怪し いと思ひ。         『ヘイ、斯んなに沢山船賃を貰つては……』                           うはて  『マア左様に云はずと取つて置け、サア船をモウ少し上流の方へ遣つ て呉れ』      かしこ  『ヘイ畏まりました』  直吉は何だか心持は悪いが、二両と云ふ金を貰つたので、船をまた上流 へ漕ぎ行きますと、平八郎は。  『先程から上陸した者もあるが、此船中に居らるゝ人々も、決して拙 者と進退を共になさらずとも宜しい、逃げ延びやうと思ふ人は、勝手次第 に上陸をせらるゝが宜しい』  と云ひ出しました。                             かはぎし  扨斯ういふ事になると、一人去り、二人去り、いづれも船を河岸に着け させて上陸し、大塩平八郎父子も、西横堀川へ船を廻させて、新町橋の南    か し 手の河岸から上陸して、矢張り混雑して居る町人等の中に紛れ込んで、兎 も角も天王寺村へと逃れ行き、般若寺村の橋本忠兵衛の家の近所へ往つて、 様子を窺つて見ると、忠兵衛の家には、誰も居ないやうだから、却つて此   うろつ          あぶない 辺を彷徨いて居ては危険と思ひ、夜道を急いで大和の方へ足を向けました。       おやこ  尤も平八郎父子が大和へ往つた頃には、まだそんなに詮議も厳しくござ              いり いませんから、大和の奈良へ入込みましたのが二十日の朝の事で、まづ古                   からだ 着屋を捜して二人は衣服を着換へ、何分身体も疲れて居りますから、人目                てう 立たぬ宿屋を捜して居りますと、恰ど奈良坂の方に伏見屋儀助と云ふ小さ な宿がありましたから、其家に這入つて。  『ハイ御免よ』                たき  五十余りの婆さんが、釜の下を焚付けて居りましたが。     いで  『お出なさいませ』                        『実は初瀬の方から夜道を来たので、腹が空つて居ますのぢや、何で        まんま も搆はぬからお飯を食はせて貰へまいかな』                    ゆつ  『アゝ左様かな、マア座敷へ上つて、悠くりとお休みなされ、直に御 膳をこしらへますから』  そこで平八郎と格之助は、庭伝ひに奥の座敷と云ふのへ通つて見ると、                    いと          うち 安宿の事だから不潔であるが、そんな事を厭つては居られません、其中婆 アが渋茶を汲んで来る、続いて粗末な膳を運び出しました、平日なら食へ るものではないが、何分にも二人ながら腹が充分に減つて居るので、最初         まづい        のど    こ の二三杯は甘いも不味もなく、咽飛び起えて腹の中へ這入つて了つた二人             そろ/\ は、食事を済ませますと、徐々眠くなつて来ましたが、寝床を取らせるの                ころ     ひじ も何だか気が咎めますので、其儘転りと、肱を枕にして寝て了ひました、                           そば 彼是今日の三時間余りも経つてから、平八郎は目を覚し、傍にまだ寝て居 る格之助を揺り起しまして。


幸田成友
『大塩平八郎』
その160 
その193 

中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その3 


『大塩平八郎』目次/その115/その117

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