|
九『コレ船頭、サア此金子を船賃に遣はすから、モウ少し我慢をしろ』
直吉は二両の金を手に受けて驚きました、其頃船賃の高い、大阪名物の
天神祭りの日だつて、一艘の船で、二両の船賃などが取れるものではない
いよ/\
のだから、嬉しいは嬉しいが、余り沢山の船賃だから、愈 此人達は怪し
いと思ひ。
こ
直『ヘイ、斯んなに沢山船賃を貰つては……』
うはて
平『マア左様に云はずと取つて置け、サア船をモウ少し上流の方へ遣つ
て呉れ』
かしこ
直『ヘイ畏まりました』
直吉は何だか心持は悪いが、二両と云ふ金を貰つたので、船をまた上流
へ漕ぎ行きますと、平八郎は。
平『先程から上陸した者もあるが、此船中に居らるゝ人々も、決して拙
者と進退を共になさらずとも宜しい、逃げ延びやうと思ふ人は、勝手次第
に上陸をせらるゝが宜しい』
と云ひ出しました。
かはぎし
扨斯ういふ事になると、一人去り、二人去り、いづれも船を河岸に着け
させて上陸し、大塩平八郎父子も、西横堀川へ船を廻させて、新町橋の南
か し
手の河岸から上陸して、矢張り混雑して居る町人等の中に紛れ込んで、兎
も角も天王寺村へと逃れ行き、般若寺村の橋本忠兵衛の家の近所へ往つて、
様子を窺つて見ると、忠兵衛の家には、誰も居ないやうだから、却つて此
うろつ あぶない
辺を彷徨いて居ては危険と思ひ、夜道を急いで大和の方へ足を向けました。
おやこ
尤も平八郎父子が大和へ往つた頃には、まだそんなに詮議も厳しくござ
いり
いませんから、大和の奈良へ入込みましたのが二十日の朝の事で、まづ古
からだ
着屋を捜して二人は衣服を着換へ、何分身体も疲れて居りますから、人目
てう
立たぬ宿屋を捜して居りますと、恰ど奈良坂の方に伏見屋儀助と云ふ小さ
な宿がありましたから、其家に這入つて。
平『ハイ御免よ』
たき
五十余りの婆さんが、釜の下を焚付けて居りましたが。
いで
婆『お出なさいませ』
へ
平『実は初瀬の方から夜道を来たので、腹が空つて居ますのぢや、何で
まんま
も搆はぬからお飯を食はせて貰へまいかな』
ゆつ
婆『アゝ左様かな、マア座敷へ上つて、悠くりとお休みなされ、直に御
膳をこしらへますから』
そこで平八郎と格之助は、庭伝ひに奥の座敷と云ふのへ通つて見ると、
いと うち
安宿の事だから不潔であるが、そんな事を厭つては居られません、其中婆
アが渋茶を汲んで来る、続いて粗末な膳を運び出しました、平日なら食へ
るものではないが、何分にも二人ながら腹が充分に減つて居るので、最初
まづい のど こ
の二三杯は甘いも不味もなく、咽飛び起えて腹の中へ這入つて了つた二人
そろ/\
は、食事を済ませますと、徐々眠くなつて来ましたが、寝床を取らせるの
ころ ひじ
も何だか気が咎めますので、其儘転りと、肱を枕にして寝て了ひました、
そば
彼是今日の三時間余りも経つてから、平八郎は目を覚し、傍にまだ寝て居
る格之助を揺り起しまして。
|
幸田成友
『大塩平八郎』
その160
その193
中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その3
|