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平『格之助……コレ、モウ起きぬか』
格之助は目を覚して。
格『思はずグウスリと寝込んでしまいました、併し此宿屋の者は、吾々
二人を怪しみは致しますまいか』
平『まだ此地までは手が廻るまいと思ふが、併し油断は出来ない』
あなた いかゞ つもり
格『貴父は今後如何遊ばす御心算でございます』
もろ はい
平『斯くまで脆く敗を取らうとは思はぬから、別に斯様に致さうと云ふ、
深い考へはないのだ、最初の考へでは、甲山に立籠らうと思つたが、尤も
夫れは勝利を得たる時の事であるから、今となつて一身の置き処さへない
とは、実に残念な事ぢや』
ど う
格『橋本忠兵衛殿は如何せられましたでせう』
かね
平『昨日、彼れから直ぐ、伊丹へ往つて予て紙屋へ預けて置いた、家族
を伴ひ、京都へ身を避けると云つて往つたが、無難に遁れたか、其辺も案
じられたものぢやテ』
格『いつぞや貴父が私へお話しをなさいました、薩州の藩中川上哲雄と
た よ いかゞ
か申す人を頼寄つて、薩摩まで落延びては如何でございませう』
是れを聞いて平八郎、ハタと膝を打叩き。
づ
平『ヤ是れは宜い処へ心注いた、今申す其哲雄殿は、私が門人も同様、
と の
殊に哲雄の家は家老職の、川上式部と云ふ人の分家であつて、当時君公の
ど う
御覚えも目出度いと云ふ事を聞いて居るから、如何なりとして鹿児島表へ
立越え、哲雄の家に身を寄せる事にいたさう』
格『併し夫れに致しても、大阪の川口から船に乗らねばなりますまい』
平『尤も左様ぢや』
このや あるじ
と二人が話しをして居ります処へ、出て来たのは、此家の主人と見えて
六十位の老爺。
爺『お客様、御免なさいまし、誠にお邪魔ではございますが、一寸お聞
き申します、貴下方は、今晩私共で、お泊り下さいまするか』
今朝来たときには、婆ア一人であつたがと思ひながら、平八郎は。
平『お前は当家の御亭主か』
爺『ヘイ、私が伏見屋儀助でございます、貴下方は初瀬の方から、夜道
を掛けてお越になつたさうで……』
ゆふべ
平『少し今朝早く此奈良に用があつて、昨夜は夜道を出て来たので……
とめ
今夜は泊て貰ふつもりだ』
どうぞ と し
爺『ヘイ有難う存じます、夫れでは何卒御住所とお名前、また、お年齢
と御商売を仰しやつて下さいまし』
わしら くにどころ なまへ
平『私等の国所と姓名を……』
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幸田成友
『大塩平八郎』
その160
その193
中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その3
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