|
はたご
天保年間は、旅行をして旅籠屋に泊りましても、今日の如く宿泊人の住
所姓名、年齢職業などを詳しく、宿帳へ附けると云ふ事はなかつた、尤も
ところ
表面儀式的に宿帳を持つて来る土地もありましたが、此奈良だの初瀬、
いたづら
また伊勢参宮の街道の宿屋へ泊る客は、悪戯半分に山本勘助だとか、天川
屋義兵衛などゝ書き記しても、別に夫れを宿屋の方で、咎めもしなかつた
あるじ
のでございます、処が今主人の儀助の言葉の様子では、宿泊人の年齢から
職業までも厳重に調べるらしいから、平八郎親子は流石与力の職に有つたゞ
づ
けに、早くも夫れと心注いて、ギツクリ胸にこたへたが、そんな顔もせず。
やたて
平『ヂヤ御亭主、お前一寸書留めて下さい、私等は墨計を持つて居らぬ
から』
儀『アゝ左様で、夫れでは硯箱を一寸取つて参ります』
いつ
亭主が立つて往た跡を見て。
平『格之助、モウ此地へも手が廻つたらしいから、気を附けねばならん
ぞ』
格『住所姓名は何と致したもので』
わし
平『夫れは私に任せて置くが宜い』
と云つてる処へ、儀助は、硯箱を持つて参り。
おところ
儀『お客様、左様なら御所は』
平『山城国伏見両替町』
儀『ヘイ/\伏見の両替町……』
平『大津屋平兵衛、年は四十三歳』
儀『ヘイ/\……お商売は』
ひよう つかひ
平『商売は日傭取ぢや、人に頼まれて使などをして居ますのぢや』
儀『夫れでは飛脚さんのやうなもので……、お連れ様は』
こ れ
平『此人か、此男は私の弟で、平吉と云つて年は三十歳ぢや』
わざ と し
平八郎は態と自分の年齢を、四ツ許り若く云つて、格之助の方はまた三
とし ごまか
ツばかり老けた齢を云つて、兄弟だと瞞着しました、儀助は聞くがまゝに
控へまして。
いろ/\
儀『イヤどうも種々面倒な事が起りまして』
平『ハゝア面倒とは何事が起つたのかな』
えら
儀『貴下方はまだお知りなさいますまいが、昨日大阪の方には、豪い騒
動が起りましたさうで、私も詳しい事は聞きませぬが、御役所から先刻、
宿屋一同を呼び出しになりまして、泊客の国所から何もかも詳しう聞いて、
直ぐ届け出るやうにしろと、厳しい御沙汰がございました、と云ふのは其
騒動を起した奴が、此南都へ逃げてでも来はせぬかと、云ふ用心でござい
ます』
|
幸田成友
『大塩平八郎』
その160
その193
中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その3
|