Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.1.9

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その120

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第二十五席 (1)

管理人註
   

 内山彦次郎は、五郎兵衛が白状の口書を取り、年寄五人組の者に向ひ。                            『年寄を始め、五人組の者共に於ては、五郎兵衛が斯うして罪人を、 かくまひ 隠匿居る事を知らず居つたのは、無念の至りであるが、今となつては、咎         いづ むる場合でない、何れ追つて御沙汰があるであらう、併し五郎兵衛は此儘 役所へ引立て参るから、左様心得て宜からう』  白子屋与一郎は頭を下げまして。  『恐れ入りましてございます』         いたは  『五郎兵衛を労つて召連れい』                      すまゐ  是れから彦次郎は町代に命じ、五郎兵衛方の住居を詳しく図引させまし て、懐中し、彼是する中に、先刻立去りました、同心河合善八郎が、同役                               さしづ 佐川豊左衛門と同道して参りましたから、彦次郎は此両人に万事の指揮を いたし置き、五郎兵衛は西町奉行所へ、自分は直ぐ其足で、御城代、土井 大炊頭の役宅へ参り、大炊頭家来鷲見十郎左衛門へ美吉屋五郎兵衛の陳述                にはか を詳しく復命に及びましたので、俄然に評議をする事になりました、此評     つら 議の席に列なつたのは、いづれも土井大炊頭の家臣でございまして、岡野 小右衛門、菊池鉄平、芹沢啓次郎、松高縫蔵、足立讃太郎、遠山勇之助、 斎藤勇五郎、菊池弥六、そこへ大目附時田肇も加り、平八郎父子召捕方の 打合せに及びました、時田肇は内山彦次郎から差出しましたる、美吉屋五        ゑ      ひら 郎兵衛居宅の画図面を展き。  『一同、此図面に依つて、各自が持口を定めらるゝが宜からう、御城   おぼし      なる 代の思召しでは成べく両人を、生捕りにしたいとの御意見であるから』  鉄平は進み出で。  『無論拙者は生捕に致す考へでございますが、此画図面で見ますると、 平八郎等が隠れ居る処へ向ふには、入口などは余程狭いやうに思はれます』  芹沢啓次郎は。  『生捕に致すに就ては、吾々は手頃の棍棒を携へて参り度く存じます    いかゞ るが、如何でございませう』  『夫れが宜からう』  そこで一同の者へ棒を持せて遣る事になりました、其時岡野小右衛門、 画図面を見て何か頻りに考へて居りましたが、大目附に向ひ。                               とても  『今鉄平殿の申されたる如く、入口へ行くまでの路次も狭く、到底二 人と並んで行く事は出来ますまい、其場に至つて、我先きに進み入り、高             いたづら 名手柄を現はさんなどゝ、徒に先を争ひ、却つて御用の妨げとなるやうな                あらかじ くじ 事があつても相成りませんから、予め鬮を曳き、順番を定めて置き度く存 じます』


幸田成友
『大塩平八郎』
その160 
その193 

中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その3 






















鷲見
鷹見
が正しい


『大塩平八郎』目次/その119/その121

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