Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.1.10

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その121

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第二十五席 (2)

管理人註
   

                               く じ  『成程、流石貴公は年輩だけあつて、能く気が注いた、夫れでは抽籤 で前後を定める事に致さう』  『夫れに就いて拙者が、一ツのお願ひがございます、と申すは、余の         おの/\ 儀には是れなく、各位はいづれも壮年なれど、拙者はハヤ既に五十歳と相               み よ 成り、忰も是れある身の上、御代泰平の御恩沢には、今日まで御厚恩を報    みち ずるに途なく、空しく月日を過ごし居りましたが、幸ひ此度、平八郎の召 捕方の人選中に加はつたる身の面目、第一番に進み入つて、生命を捨つる                ようしや 覚悟にございます、此儀、何卒御許容下し置かれますやうに、願ひ奉りま する』  大目附も是を聞き、感心の余り、並居る者に其事を尋ねられますと、一 同も健気なる小右衛門の心中を察し、いづれも承知の旨を答へましたので、                         くじ 岡野小右衛門を第一番と定め、第二番から八番までの鬮を引まして、時田 肇は取締役でございますから、第九番目と云ふ事に相定め、尚ほ様々打合       うち せをして居る間に日も暮ました、此日は三月廿七日の事で、夜に入ります ると、土井大炊頭の家老、鷲見十郎左衛門は最初から此事件の係りでござ                                ひとま いますから、岡野小右衛門、菊池鉄平、芹沢啓次郎の三人を呼寄せ、一室 に待たせてあつた西組の与力、内山彦次郎をも呼出しまして。  『各位へは予て申し置いたが、此処に控居るのが、堀伊賀守殿部下の 与力、内山彦次郎と申すのぢや』                            ひきあは  また彦次郎へ対しても、三人の姓名を告げまして、表向き紹介せを致し。  『諸事此彦次郎殿の案内を聞くやうに』  と申し渡しました、其時に彦次郎は。  『唯今御家老の仰せの通り、私及び同心の者等は一足お先きへ参り、    したく 万事の準備を充分に整へたる上にて、其由を御案内致しますから、此報せ に依つて各位には、御出張下さるゝやうに』  三人『委細承知仕まつゝてござる』  とすつかり打合せが出来ましたので、内山彦次郎は信濃町の会所へ残し      ほか 置きました外に、同志名関弥次右衛門、藤野織右衛門、其他大勢の手先を 召連れまして、まづ一旦本町五丁目の会所へ落着きますと、其跡へ、御城 代の家来岡野小右衛門の一行も夫々用意をして参り、此処で更に一同が打                           合せを致しまして、信濃町の会所へ繰込み、美吉屋方の画図面を開いて、 誰は此処、彼れは此処と持場を定め、彦次郎はまづ一足先きに美吉屋へ参               かたはら つて、五郎兵衛の女房おつねを傍に呼びまして。


幸田成友
『大塩平八郎』
その160 
その193 

中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その3 


『大塩平八郎』目次/その120/その122

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