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おやこ かくまひ
彦『大塩平八郎の父子の者を隠匿居る事は、既に五郎兵衛の白状に依つ
て明白である、夫れゆえに、唯今召捕りに向ふたる吾々、家内の者に怪我
ざんじ あひだ
でもあつては相成らぬから、一人も残らず暫時が間、此家を立退せせるや
うに致せ』
おつと とりて
と申し附ました、お常の方では良人が既に捕はれたので、モウ今に捕人
が向ふであらうと、承知して居りましたから、さして狼狽も致しません、
そこで奉公人等を立退せ、自分は家に残つて居りますと、彦次郎は。
彦『其方は平八郎の居る座敷へ往つて、五郎兵衛は今会所から呼びに来
なんどき
て参りました、夫れに就き、何時役人が来るかも知れませんから、今の間
そつ かれら
に裏口から窃と御逃げなさるが宜しからうと云つて、渠等を裏口から追出
す様にいたせ』
かしこ
常『畏まりましたが、然ういふ都合に参れば宜しうございますか』
うしろ
と云ひながら先きに立つて、庭伝ひに離れ座敷の方へ参りますと、其後
からまづ先きに内山彦次郎と同心が二人、是れに続いて岡野小右衛門をは
あと つ
じめ、七人の追手の人々、其後へまた二人の同心が従いて参る、尤も此美
ぐるり
吉屋の周囲は、惣年寄今井官之助、比田小伝次、永瀬七三郎等三名の指揮
もと
の下に、火消人足が大勢、火消道具の用意をして取囲んで居ります、是れ
は平八郎が火薬を持つて居ると云ふ事が知れてございますから、火を放つ
た時の用心でございます。
いひつ
扨て美吉屋の女房お常は、彦次郎に吩附けられた通り、細道伝ひに平八
おやこ きは しづ
郎父子の潜んで居ります、離れ座敷の切戸の際へ参り、いつもの如く徐か
に戸をコツ/\と叩きますと、平八郎は斯ういふ事があらうとは、神なら
ぬ身の少しも知らず、五郎兵衛が来たのだらうと思つて、何の気もなく、
うしろ
切戸を開け、ヒヨイと顔を出すと、お常の後に、まだ人の居る容子、ハツ
もと
と思つて戸をぴつしやりと閉めました、彦次郎は素より平八郎の顔を知つ
うしろ
て居りますから、後を振向き、予て合図と定めたる左の手を高く差上げま
した、岡野小右衛門は心得て。
小『ソレ、取逃さぬやうに』
から
と云つて進まうとしたが、何分道が狭くツて、我より先きに居る者と身
だ いら
体を入代る事が出来ない、そこで気を焦つて。
小『戸を叩き破つて進め進め』
うち
と下知いたしましたので、彦次郎が力を籠めて、切戸を押して居る中に、
けむ
ズドーンと火薬を火に投じた音がするかと思ふと、戸の隙間から怪しき烟
りを吹出した、イヤ如何も焔の煙だから堪まりません、ソレ打壊せと漸
くにして切戸を打破つて大勢が込み入りました時には、モウ火は一面に廻
つて居りまして、猛火の中に大塩平八郎は、突立つたるまま脇差を引抜き、
のんど そば
我咽喉を横に貫いて居るやうであるが、火勢の強い為めに傍へ立寄る事が
うち
出来ない、其中に火消の者等は、充分に消防の手筈がしてありましたから、
他へ延焼をさせず、此隠居所一軒を焼いて、全く火を消止めました、少し
さしづ
下火になると、小右衛門が指揮をいたし、平八郎父子の死骸を捜させます
くろこげ
と、同じ場所ではないが、坊主頭で黒焦になつつた死骸が二ツありました
なか/\
から、取出さうとしたが、却々、まだ傍へは立寄る事が出来ません、内山
彦次郎は。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その160
その193
中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その4
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