Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.9.11

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その16

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第四席 (1)

管理人註
   

 大塩平八郎は林大学頭の家政改革に就き、用人谷村幸之進に千両の金                い きはり を引受けましたのは、一時物の意気張からで、其実平八郎も千両と云ふ     てもと                        きんけつ 大金は、手許にあるべき筈はございません、けれども此大塩には金穴が                 うち ある、その金穴と云ふのは、門弟の中でございまして、大塩の書斎にあ る処の高価の書籍は、其門弟が謂ゆる寄附に係るものでございます、其 人々は誰かと云ふに、守口村の白井孝右衛門、是れは百姓ではあるが学 問を嗜み、また質渡世をもして居ります、夫れから般若寺村の庄屋橋本 忠兵衛、是れ等常に大塩の家政にも立入つて金融をして居ります、今一                                その 人は唯今でも有名な、猪飼野の木村権右衛門の先祖でございまして、当 ころ 時の権右衛門の伜で木村司馬之助、この三人へ別人を立てゝ呼迎へまし て、今日の次第を委しく物語り。      はづみ                     こんにち  『妙な機会で引受けて戻つたのだから、誠に押詰まつた今日に迷惑                 づゝ であらうが、三人から一人に三百両宛出金をして貰ひたい、跡の百両は 私の手許から足せば、千両になるから、明朝林家の用人が来た時に、千 両箱に入れて持たせ帰したく思ふ、尤も同じ公儀の役人でも、林と云へ ば御儒者であるから、私も一層尽力して見たく思ふぢや』  橋本忠兵衛は。               あなた  『三百両、承知しました、貴下が引受けて帰られたものを、今更其 金は、調達が出来兼ねるなどゝとは云はされぬ、孝右衛門さんも司馬之     いな 助さんも否やはござるまい』  忠兵衛が早速承知しましたから、跡の二人も否とは云ひません。  『私も三百両承知いたしました』  『私も承知です、殊に幸ひと云ふのは、今日は商売の事で、此処に 金を五百両持つて来て居ますから、此中から三百両置いて行きませう』      すぐ  『私は直に引返して持つて来ませう、司馬之助さんは如何さつしや る』  『私も一走り帰つて、三百両を持つて来ませう』        『同度然ういふ事に願ふ、尤も証文は貴公達の名宛にして、返済の 期日なども確実にして置くから、其段は安心をして下さるやうに』  『兎も角も帰つて金を取つて来ませう』  『私も其辺まで御同道をしませう』  と木村司馬之助と橋本忠兵衛の両人は、挨拶もそこ/\にして立出で                  ふところ ました、跡に残つた白井孝右衛門は、懐中に重さうに入れて居りました、 二歩金の包を取出しまして。            うち  『先生、夫れでは此中から三百両だけ置いて帰りますが、明朝私が 来られなかつたら証文の処は万事宜しくお頼み申します』  『其辺は心配無用……トキニ孝右衛門殿、其残りの二百両は、今か ら何処かへ御持参かへ』  『イエ、五百両の中三百両不足したので、是れだけでは用に立ちま せんから、今日は此金を持つて帰るつもりで……』  『左様か、甚だ汗顔の至りだが、拙者少し差詰まつて金の要る事が ござる、其二百金を来春まで借用は願はれまいか、尤も少々の貯へはご ざるが、そこへ大晦日も来て居るし、また今お話しをした通り、百金は 林家の方へ用立ねば相成ぬ事になつたから、願はるゝ事なれば、来春早々 に返却をいたすから借用が願ひたい』



相蘇一弘
「大塩の林家調金
をめぐって意気張
思い込んだこと
を立て通す


『大塩平八郎』目次/その15/その17

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ