どころ
また此天保七年丙申の年は、前年処では無い、夏から大雨が降続いたの
で、今年の秋は大凶作と云ふ事が分つて居るから、折角下落して居た米の
ね
直が、またグツと上つて来たので、愈世間が喧しくなつて来ました、平八
うち
郎の腹の中では如何も東町奉行の評判も宜しくなし、今度赴任せられた跡
部山城守と云ふ人も、まだ其気質も詳しく分らないが、兎も角も忰格之助
を以て、今年の米高に就いて、跡部山城守の意見を伺はせて見やうと思ひ
あるひ
まして、一日格之助を傍近く招き寄せ。
た ち
平『格之助、今次の御奉行は如何いふ性質であるか、私は斯うして隠居
をして居る身であるから、役所また御役宅へ往つて、お目に掛ると云ふ事
いかゞ にち/\
も如何であるが、お前は日々出勤して居るから、大抵分るであらう』
を り
格『お尋ねがございますから申し上げますが、実は私も此間から、機会
あなた
があつたら一応此事を、貴父のお耳に入れて置きたいと存じて居りました、
と云ふのは他の事でもございません、如何も今度の御奉行は、吾々東組の
者のあるにも係はらず、是れぞと云ふ御用は、西組の者へ密に御命じにな
るやうでございます』
平『ナゝ何と云ふ、東組の者等を差措いて、西組の者を御用ひになると
け わ け
は、怪しからん事ぢや、併し夫れは何ぞ理由のある事であらう』
格『理由と申した処で、詳しい事は分りませんが、どうも東組の与力、
また同心は勤め向きも宜しくない、また自己の存じ寄りのみを申し募り、
トンと御奉行の仰せを守る者がない、もし此儘で置く時には、奉行は有つ
ますま
て無きものゝ如く、益す増長するから、夫れゆえに西の矢部公に御相談の
上、是れだと云ふ御用は、西組の者へ御命じになるのでございます』
まる じんさい
是れを聞いて平八郎の額には、宛で薄菜のやうな青筋を現はして怒つた。
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