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さ と
平『今が大事の処、事を起さぬ以前に、此企てを人に推知られては所詮
大望は成就しないから』
さと ど う さか
と諭して居りますが、如何も血気壮んなる人々は、落着いては居られん
と見えて、茲に一味徒党の一人で、矢張り東組の与力、平山助次郎と云ふ
のは平八郎の門人で、最初は別に一味に加はる気でもなく、何だか近頃後
素先生の容子に、変な処があると思つて居りますと、弟子朋輩の者から、
跡部山城守に対する平八郎の不平を聞きまして、夫れには自分の胸にも当
いろ/\ あるひ
る事があつて、種々心配をして居ります折から、一日の事、渡辺良左衛門
は、助次郎の側へ立寄り。
良『トキニ平山氏、貴公は当時町目付をも勤めて居らるゝ事なり、拙者
は同心ではあるが、夫れは役所に於ての格式、御当家、即ち洗心洞の門下
としては学友だから、学友としてお尋ね申したい事がある』
あらたま
助『ホゝー何だか知らんが、大層改つた事、何事のお尋ねでござるか』
ほか ど う
良『他の事でもない、如何も此程から東組の者に対しては、何だか御奉
行に隔意のあるやうには思はるゝ、夫れに就ては後素先生も、大いに心を
痛めてござるのみならず、万一にも異変等のあつた節は、師弟の間ネでも
なげう
あり、忠孝の為めには身命をも抛つと云ふ決心がなくては相成らんが、貴
公には何と思召すかな』
助次郎は心中に、妙な事を云ふとは思つたが。
助『イヤ夫れは勿論覚悟でござる』
と答へて其日は別れましたが、其後他の門人等からも、折々同じやうな
いよ/\
事を云つて、覚悟は宜いかと聞かれる事があるので、愈 変に思つて居り
はじめ
ましたが、十二月の上旬に、平八郎の口から、挙兵の話しを聞いて、ハゝ
ア扨は是れが為めであつたかと初めて今日までの疑ひが晴れましたので、
其場で同意の旨を答へ、翌年正月の八日に至りまして、例の連判状に血判
をいたしました、夫れからと云ふものは兎角自分の屋敷に尻が落着かず、
やしき
大塩の邸宅へ往つて何くれとなく打合せをして、時々泊つて来て、帰つて
来ぬ事もございます、処が此助次郎に一人の母親がございまして、名をお
すが
菅と云ひ、今年が六十五歳、年の割合には壮健でございまして、誠に正直
な人で、平素から忰助次郎の勤め振りに意を用ゐて居りました。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その104
『塩逆述』
巻之五
その12
平山助次郎は
同心
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