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てうど
恰度此維新前に、大阪の市中へ、神仏のお札が降りまして、騒いだ事が
ございます、夫れと是れとは違つて居りますが、サア此事が大評判となり
ました、併しながら天保年間には今日のやうに、小学校と云ふものがあつ
て、学齢になると学校へ通つて、一年生から年々に進んで、字を知らない
ものゝない世の中とは違つて、いろはの仮名文字でさへ、碌々読めない者
が多かつた時分の事で、庄家だとか何だとか云つて威張つて居ても、斯う
云ふ檄文を読める者はない位で、何だか知らないが、太神宮様の御祓ひに、
まもり
斯んなお守札のやうなものを附けて鎮守の祠の前に置いてあつたと云つて
びつく
持帰り、字の読める者に見せて、読んで貰つて恟りする、夫れから夫れへ
うち
と此事が伝はつて来る中に、話しが大きくなつて。
まじな
△『オイ兵六さん、お前さん、天から下すつたお呪ひの書附けを拾つた
かい』
おら
○『イゝヤ己ア拾やアしないが、専念寺の和尚さまから其話しを聞いた
ひつくりか
のだ、何でも此世の中が転覆へつて、貧乏人は金持になり、今まで金を持
つて居る奴が、貧乏をするんだと云ふ話しだ』
△『其代りに何だとさ、大阪の方で事が起つたら、直ぐに駈附けなくち
おら はき
やならないさうだ、だから己アなんざア此通り、穿替への草鞋まで腰に括
り付けて、ちやんと用意をして居るんだ』
などゝ噂をして居るかと思ふと、道場の坊主、此道場の坊主と云ふのは、
今日では無くなりましたが、以前は大抵の村には此道場と云つて寺があり
じうじ
ました、其寺の住持と云ふのは、村の子供を集めて手習ひの師匠をもして
居りまして、何か少しむつかしい解らない事があると、其坊主の処へ往つ
て尋ねる、また代筆などを頼む事もあります其道場へ、右の檄文を持つて
往つて読んで貰つてる者が沢山ございます、斯ういふ塩梅だから、大阪近
ひそ
在は、大分の人心が動揺して居る、また此檄文を読んで、心ある者は、窃
かに眉をひそめて居ります、尤も此檄文を撒きちらしてからと云ふものは、
はなし
一味の人々は充分に殺気を含んで居りまして、一寸人に逢ふて談話をする
ちが
にも、平日とは何処となく容子が異つて居りましすから、平八郎は是れを
注意して。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その110
幸田成友
『大塩平八郎』
その110
大塩檄文
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