Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.11.24

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その79

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第十六席 (3)

管理人註
   

 思ひ掛けない母の言葉にハツと驚きましたが、モシ此場に至つては、そ んな事はございませんと云ふ余地がない、然ればと云つて、左様でござい                     うつむい ますとは、尚以て云はれませんから、黙つて俯首て居りますと、母のお継 は、帯の間から懐剣を取出し、袋の紐を解いて。                       いひわけ  『助次郎、モウ今となつて過ぎ去つた事の、弁解をするには及ばねば、                            おとうさま また聞くのも耳の穢れ、先祖の御位牌を祀つた御仏壇の前、阿父様の此御 位牌の前で改心するか、又一旦師と頼んだ平八郎殿への義を重んじて、味           ふたつ  うち       はつきり 方をすると云ふか、此二点の中一ツの返事を、判然として下さい、此平山 家代々が御恩を蒙つたるは、今の御奉行ではないけれども、時の御奉行に てきた 敵対うのは、取も直さず公儀に弓引くも同然、此処の処を能く考へねばな りません、一旦の義理を立つるが為めに、先祖代々が安楽に世を送つたる                               御恩を忘れて、公儀に敵対をする心か、サア、心を定めて返事を為なさい、 其返答に依つて此母も覚悟がある』                             くつろ  と、お継は手に持つたる処の懐剣の鞘を払ひ、衣服の胸許を寛げまして、 イザと云つたら忽ち自害をして、相果ると云ふ決心の程を示しました、差 うつむい 俯首て居りました助次郎は、此時母の前に両手を突きまして。  『誤りましてございます、今日唯今助次郎、断然心を改めましてござ     おつか います、阿母様、助次郎が改心の証拠、唯今貴女に御覧入れませう』                    せうとう  と云ひながら、腰に差して居りました、小刀を手に取つて鞘を払ひ、既 に腹を切らうとしたから、お継は其手をしつかと押へて。  『コレ助次郎、今腹を切るのは、此母へ、改心の証拠を見せる気かは        すて 知らぬが、命を捨ては公儀へ対して、忠義にはなりますまい、早まつた事 をするよりも、何故公儀のお為めになる事をせぬのぢや』  『公儀のお為めになる事と云へば、大塩先生をお諫め申して、今度の 企てを思ひ止まらすより外はございませんが、平日より先生の御気象とし                     い か や う て、一旦斯く思ひ立つたる事を、私如き者が如何様に申しましたとて、所 詮お心を翻へさるゝ事はごさせいませぬ』  『サゝゝ其処が考へ処ぢや、所詮諫めを用ひられぬと知つたれば、今   そなた          しらせ                  しら から其方は御奉行へ、何故に密告をしやらぬのぢや、跡部様へ此事をお報 せ申すのが、公儀への忠義、昼間は却つて人目もあれば、今から早う御役 宅へ往つて、事の次第を詳しう申し上げたる其上で、大塩殿への義理を思 はゞ、其上で切腹をするが宜い』  と云はれて、助次郎も意を決し。  『仰せの如く仕ります、必ず御安心下さいまし』                     やしき  と、是れより平山助次郎は雨をも厭はず我邸を立出でまして、東町奉行 所へと駈け行きました。



石崎東国
『大塩平八郎伝』
その113

『塩逆述』
巻之五
「その12」


『大塩平八郎』目次/その78/その80

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