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べ や あと
次平は御前を退り、両人の居ります宿直部家へ参りました、其後で山城
守は他の家来を召出し、両人の者を召捕る用意を申附けましたが、斯うい
ふことゝは神ならぬ身の知るに由なく、小泉と瀬田の両人は、大塩平八郎
の内意を受け、明早朝跡部山城守が巡見の為め役所を立出でたる跡にて、
なか/\
役所に火を放つ事を引受けて居りますから、却々安閑として居りません、
あつ
両人は額を鳩めて何事をか密議を凝らして居ります処へ、野々村次平が襖
を開けて入来り。
めうにち
次『御両所、御苦労に存じます、主人山城守様、明日御巡見の事に就き、
昼間にお打合せをなさる事を御失念なさいましたので、夜中気の毒ではあ
るが、御両人に御用談の間まで、直お越下さるやうにとの仰せでございま
す』
済『左様でござるか、淵次郎殿、御一緒に』
淵『御同道仕らう』
と袴の紐を締め直し、一刀を手挟んで、次平と共に、御用談の間の手前、
畳廊下の処まで来ると、野々村次平が。
次『アイヤ御両人、此処にて脇差を拙者にお渡し下さい』
と云はれて、両人は顔を見合せ。
なにゆえ
済『何故脇差をお渡し申すのでござる』
次『御奉行の仰せでござる、帯剣はお預かり申す』
淵『ナニツ』
と淵次郎は血相を変へ、扨は事露顕に及んだるかと、済之助に目配せを
いたしますと、心得たりと瀬田済之助、脇差の柄に手を掛ける、野々村次
平も手早く着たる羽織を脱ぐと、下には下緒を以て襷を掛け、帯には十手
を挿して居る、モウ此上はと瀬田、小泉の両人、一度に脇差をスラリと引
抜いて、山城守の居間へ駈行かうとするのを見て、次平は合図の笛を吹き
鳴らした、此時襖の向ふに予て待搆へて居りましたる処の、跡部の家来四
五人、ガラリと襖を開けて入来り。
△『御用だ、神妙にしろ』
と云ひながら、前後左右から、小泉、瀬田の両人を召捕へんとするを見
て、淵次郎は先きに進んだ跡部の家来に一太刀浴びせた、今日の如く電灯
ともしび
だの、瓦斯のやうな明かるい灯火はない、尤もランプとてもございません
時分の事だから、行灯が倒れると、真暗がりになると云つたやうな訳、其
うち き とも
中に心利いたるものは、提灯を点して持つて来る、小泉は近寄る者を片ツ
きりころ
端から手疵を負はせ、或は斬殺して、血路を開き、此場を免れやうとして
うち
居る中、此物音を聞き付け、夜詰の者が八方より此処に集まりましたから、
かな
瀬田済之助はモウ所詮敵はぬと、裏の方へと逃げ出し、邸内の丑寅の隅に
あが から
稲荷の祠がございます、其社の屋根に昇り、塀を乗越えて、辛くも逃れ出
でました。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その112
幸田成友
『大塩平八郎』
その120
「大坂東町奉行所図」
丑寅
北東の方角
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