Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.9.2

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その120

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  三 反忠 (5)
 改 訂 版


淵次郎斬らる

伊賀守は家老から両名出訴の次第を聞き、早速其旨を山城守に通 知し、前刻相談の通り平八郎を捕縛しやうといふので、私宅へ下 つてゐる与力同心共を召集した、平八郎の謀叛は最早疑ふ余地が 無い、前夜の泊番であつた東組与力瀬田済之助小泉淵次郎両名は、 訴状の表によれば一味徒党の者である、ソレ召捕れといふ山城守 の命令で、両名を御用談の間へ呼寄せた、此間は常に町奉行が出 席して与力などに会ふ所である、呼ばれた与力は此部屋に入る前 の畳廊下―廊下の一方は近習部屋―に脇差を置かねばならぬ、畢 竟丸腰で町奉行に面会するのであるから、彼等が御用談の間に入 るを待つて脇差を取隠し、さうして生擒らうといふ手筈であつた、 済之助は折節便所に立ち、淵次郎一人一足さきへ来た所、近習部 屋に慝れて居る者が脇差を取上げることが早過ぎたので、怪しい と感付いた淵次郎はバタ\/と逃げる。止むを得ん、斬れといふ ので、山城守の家来が後から切付け、百会の後へ二寸程、右の肩 先へ四寸程の切疵と、右の脇腹へ一寸程の突疵とを負はせて、遂 に斬伏せて仕舞つた、其場所は今井克復翁氏は弓の間で、斬手は 一條一といふ剣術師範であつたと言はれるが、関根一郷氏の話に は遠国方役所の辺とある。今井翁のは実験談、開根翁のは伝聞で あるが、弓の間にしては御用談の間に近過ぎ、止むを得んから斬 れといふ言葉が少々承取かぬる、

 伊賀守は家老から両名出訴の次第を聞き、早速その旨を山城守 に通知すると共に、私宅へ下つてゐる与力同心共を召集した。平 八郎の謀叛は最早疑ふ余地が無い。山城守は前夜の泊番であつた 東組与力瀬田済之助小泉淵次郎両名が訴状の表によつて一味徒党 の者であることを知り、ソレ召捕れと指図し、両名を御用談の間 へ呼寄めた。此処は町奉行が出席して与力などに会ふ所で、呼ば れた与力はこの部屋に入る前の畳廊下――廊下の一方は近習部屋 ――に脇差を置かねばならぬ。畢竟丸腰で町奉行に面会するので あるから、彼等が御用談の間に入るを待つて脇差を取隠し、さう して生擒らうといふ手筈であつた。済之助は折節便所に立ち、淵 次郎一人一足さきへ来た所、近習部屋に慝れて居た者が脇差を取 上げることが早過ぎたので、怪しいと感付いた淵次郎はバタ\/ と逃げる。止むを得ん、斬れといふので、山城守の家来が後から 切付け、百会の後へ二寸程、右の肩先へ四寸程の切疵と、右の脇 腹へ一寸程の突疵とを負はせて、遂に斬伏せて仕舞つた。旧天満                            ハジメ 組惣年寄今井克復翁の話にその場所は弓の間で、斬手は一條一と いふ剣術師範であつたと言はれるが、旧東組与力関根一郷翁の話 には遠国方役所の辺とある。今井翁のは実験談、関根翁のは伝聞 であるが、弓の間にしては御用談の間に近過ぎ、「止むを得ん、 斬れ」といふ言葉が少々承取かねる。


「大坂東町奉行所図
〔今井克復談話〕その4


「大塩平八郎」目次3/ その119/その121

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