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きは
此方は小泉淵次郎、多勢に取囲まれて進退谷まりましたが、漸く一方を
やちう
斬り破つて、椽側へ出ましたが、夜中の事でございますから、出口は皆締
は
りがしてある、そこで茶室の方へ走せ行きますと、其跡より馳せ来つた跡
ごう
部の家来、日頃から強の者と云はれて居る、水野伝九郎と云ふのが、暫ら
やむ
くの間打合つて居りましたが、止を得ん斬れ、と云ふ山城守の声が、何処
からか伝九郎の耳に入つたので、淵次郎の肩先をズバリ斬下げた、アツと
うち
云つて振返る処を、また一刀、其中に追々集まり来たつた若侍が、抜刀を
ご
以つて追取巻、遂に小泉淵次郎、十八歳を一期として落命いたしました、
尤も最初山城守は此両人を、生捕りにするつもりでございますから、野々
いら
村次平にも其辺の事は申含めてあつたのだが、次平は少し気を焦つたので、
斯んな事になりました、全体山城守は、小泉、瀬田の両人を御用談の間へ
呼寄せ、此処で自ら取調べるつもりであつたのだ、与力などが此間へ這入
る時には、畳廊下の一方に近習部家と云ふのがあつて、此処で脇差を置い
まるごし
て、無刀で奉行の前に出るのが法式だから、近習部家へ脇差を置かせてか
よか
ら、其脇差を取隠して了へば宜つたのですが、次平は慌てゝ、先きに脇差
を渡せと云つたものだから、両人は夫れと感付いて、斯ういふ騒ぎになつ
て了ひました。
づか
扨此方は大塩平八郎、平山助次郎が変心したと云ふ事は、少しも心注ず
に居りましたが、予て連判に加はつて居た河合郷右衛門が、何処へ往つた
のか、二三日前から一向に顔を見せませんので、もしや変心したのではあ
ひそか
るまいかと、杉山三平に命じ密に容子を探らせてみると、此郷右衛門には
二人の忰がありました、兄を八十次郎、弟を捨松と云つて、弟の方は今年
漸く二歳でございますが、其捨松は此頃疱瘡に罹つて居りますので、其子
しるべ もと
を預ける為めに、河内在の知己の許へ往つたと云ふ噂を聞いて戻りました。
いよ/\
其話しを聞いて人々は、愈 事を挙ぐると云ふ間際になつて、子供の事
ど う
を案じるやうでは、如何も心底が怪しいと思つて居ると、大井正一郎が。
き
正『先生、河合ばかりではない、平山助次郎も昨夜立帰つた限りで、其
後顔を見せないではございませんか』
ひ け
平『成程、両町奉行の巡見の日を知らせに参つたのは、昨日役所の退出
後の事、一度宅へ帰り、明日は非番だから、早朝より参ると申して帰つた
こんてう
のぢやが、今朝から参らぬのは……』
かれ
正『変心したのかも知れません、今思ふと先達つて渡辺が、渠に連判を
ようす
勧めた時の挙動が少し変でございました』
やしき
平『兎も角も助次郎の邸宅へ、容子を見に遣はさう』
と又もや三平に其事を命じましたから、三平は直ぐ平山の邸宅へ往つて
見ると、素より夜中の事だから、門は閉めてございます。
三『お頼み申す……一寸御門をお開け下さい』
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その112
幸田成友
『大塩平八郎』
その120
「大坂東町奉行所図」
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