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トン/\/\、と打叩いても、答へがない、こりや答への無い筈でござ
かへりちう
います、助次郎の反忠の為め、万一大塩の一味が其事を知つて乱暴でもす
やしき
るやうな事があつてはならぬと、助次郎の母は早朝より邸宅を逃げ出し、
ふり
留守居の者にも注意をしてございますから、幾ら戸を叩かれても聞えぬ態
をして居ります、そこで三平は暫らく容子を考へては、またトン/\と打
叩いて見ても、一向に返事をしてませんから、立帰つて其由を、平八郎に
告げますと、扨は助次郎も変心して、何れへか逃走したに違ひないとは思
づか
つたが、跡部山城守へ密告したと云ふ事は、少しも心注ずに居りました、
処が其夜の子の刻過ぎ、今日の午前一時頃、大塩屋敷の門の戸を、烈しく
打叩く者がある、門番は心得て。
どなた
番『今開けます……何誰でございます』
済『済之助でござる、早く、ハゝ早く』
と云ひますから、門番は、慌てゝ門を開いて見ると驚いた、瀬田済之助
は顔も手足も衣類も朱に染まり、血刀を引提げて駈込み、玄関の処まで来
た ゞ
ると、式台にバツタリと倒れました、此有様を見て居合す人々は、尋常ご
とならずと、平八郎に斯くと告げましたから、平八郎も駈け来たり。
いかゞ
平『済之助、如何いたしたか』
きうび
と傍に立寄つて、鳩尾の辺りを撫でさすり、活を入れますと、済之助は。
済『ウムウー……』
と心注いた。
ど う しつか
平『如何した、確りさつしやい』
済『先生、無念でござる、何者かゞ裏切りを致しました』
平『ナニ裏切を』
済『先刻山城守には、淵次郎と拙者を突然呼出しましたので、往つて見
かよう
ると、云々斯様々々』
と有し次第を語りましたので、平八郎大きに驚き、斯くなる上は、最早
片時も猶予する場合でないと思ひ。
いづ
平『何れも用意をさつしやい』
こしら のろし
と下知を致すと共に、予て設備へ置いたる合図の狼火を打揚げました、
やしき
サア大変一味の者等は我遅れじと、大塩の邸宅へ駈附け/\、駈集まつた
おびたゞ
る処の人数は、実に夥しいものでございます、此時大井正一郎は、前刻我
手に掛けました、宇都木矩之允の首級を打落し、槍の穂先に其首をさし貫
き、玄関に立出でますと、是れに続いて大塩格之助には、先陣として、旗
さしものを部下に持たせ、其身は小具足に身を固め、上には火事に用ふる
め て
処の胸当を為し、緋羅紗の陣羽織を着して、槍を小脇にかい込み、右手に
さしず
は金の采配を持ち、頻りに指揮をして居ります、勿論十九日に事を挙げる
と云ふ事は、前々から定めてございますから、河内在の猟師金助、是れは
砲術のことを能く心得て居りますから、十八日の朝から、大塩の屋敷へ入
込んで居ります、夫れに橋本忠兵衛の手から、今度の一味に加はつた処の、
般若寺村其他近村の百姓等は、皆一味の与力、また同心の屋敷へ別れ/\
のろし
に来て、ソリヤと云ふ合図を待つて居りましたから、狼火に依つて追々に
いよ/\
詰掛けて来る、愈 同勢も集りましたので、平八郎も同じく小具足の上に、
紺羅紗に定紋附いたる陣羽織を着し、金の鍬形に、青龍の前立打つたる兜
ゆんで め て
を戴き、左手に鉄の棒、右手には日の丸の陣扇を持ち、渡辺良左衛門、近
藤梶五郎、其他の人々を従へて、悠々と立出で、陣扇をサツと押開き。
平『我邸宅の塀をまづ打壊し、第一番に向ふなる朝岡助之丞の邸宅へ砲
発召され』
と下知いたしました。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その112
幸田成友
『大塩平八郎』
その130
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