Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.10.23

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その130

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  五 騒乱 上 (1)
 改 訂 版


出陣   


正一郎が短之允を討留めたと復命した時には、既に一党は旗四半 を押立て、今にも出陣せんとする気色である、正一郎は兼て連判 に加盟せる者故、手早く有合の着込を着し、鎗を携へて先登に立 つた、一党は五ッ時頃屋敷の塀を引倒して繰出し、向屋敷の朝岡 助之丞宅へ大砲を打込み、大塩邸に火を放ち、組屋敷の内を所々 乱暴して天満十丁目へ出た。彼等は到る所大砲火矢を打放し炮碌 玉を投散し、重立たる面々は抜身の鎗長刀を振廻し、其場に彷徨 ひ居る者を、百姓となく町人となく味方に引入れ、不承知ならば 斬殺すぞと威し、有合の脇差を渡して荷物を担がせ、同勢彼是三 百人計となつた、其中には隙を見て逃亡する者も多いが、また進 んで何処までも附添ひ来り、呉服屋へ飛込み、衣類を奪取つて着 用する者もあれば、町家から理不尽に酒や飯を持出し、鱈腹飲食 する者もあつた、一行は天満天神社から南に折れて天神橋筋を渡 らうとしたが、南端の橋板は既に山城守の手で破壊されてあるの で、止むを得ず引返し、身支度をし直し、猶人数を集め、大川に 沿うて西へ下り、橋板を取崩さうとしてゐる町奉行所の人足を追 払つて難波橋を南へ渡り、北浜二丁目に出たのは九ッ時頃であつ た。

 正一郎が短之允を討留めたと復命した時には、既に一党は旗四 半を押立て、今にも出陣せんとする気色である。正一郎は豪気者 であるから、手早く有合の着込を着し、鎗を携へて先登に立つた。 一党は五ッ時頃屋敷の塀を引倒して繰出し、向屋敷の朝岡助之丞 宅へ大砲を打込み、大塩邸に火を放ち、組屋敷の内を所々乱暴し て天満十丁目へ出た。彼等は到る所大砲火矢を打放し、炮碌玉を 投散らし、抜身の鎗長刀を振廻し、百姓といはず、町人といはず、 出会次第味方に加はれと勧め、不承知ならば斬殺すぞと威し、有 合の脇差を渡して荷物を担がせ、同勢彼是三百人計となつた。彼 等の中には隙を見て逃亡する者も多いが、また進んで何処までも 附添ひ来り、沿道の町家から衣類を奪取つて着用する者もあれば、 理不尽に酒食を持出して、鱈腹飲食する者もあつた。一行は天満 天神社から南に折れて天神橋筋を渡らうとしたが、南端の橋板が 既に山城守の手で破壊されてゐるので、止むを得ず引返し、大川 に沿つて西へ難波橋まで下り、橋板を取崩さうとしてゐる町奉行 所の人足を追払つて橋を南へ渡り、北浜二丁目に出たのは九ッ時 頃であつた。


「大塩平八郎」目次4/ その129/その131

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ