Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.12.1

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その86

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第十七席 (5)

管理人註
   

 時は将に天保八年酉の二月十九日の暁天、大塩平八郎に加担の人々は、           やしき   おほづゝ        ときのこゑ 第一番に朝岡助之進の邸宅に大砲を打込み、一同は鯨声を揚げ、尚ほ平八 郎は再び我邸宅へは立帰らぬと云ふ覚悟でございますから、自分の家にも 火を放ち、組屋敷の内でも、日頃意見の合ぬ者の家には、容赦なく火を放 ちまして、天満の十丁目筋に出ました、此十丁目と云ふのは、御案内の如                             いでたち く、天神橋筋の事で、同勢凡そ三百名ばかりが、何れも異様の扮装をして         さむらい すくな 居ると云ふのは、武士は尠いが、百姓等が沢山居りますから、其者等に一々 武具を着せると云ふ事は出来ません、夫れゆえに、中には百姓一揆の如く 縄襷をかけて竹槍を持つて居る者もある、また斯うなりますと、誰彼の差 別はない、往来を歩いて居る者を片ツ端から引捕へて、味方に引入れるの   よんどこ で、拠ろなく二三町同勢に加はつて、途中からコソ/\と逃げる者もあり                     うち ます、また面白がつて従いて行く者もある、其中に夜は全く明放れました。  扨両町奉行は、事を未発に防がうとして居る中に、斯う云ふ騒ぎになり ましたから、早速大阪御城代土井大炊頭へ急使を立てましたが、夫れより 先きに、早くも此事を知つたる御城代には、スワ一大事と大手桝形御門に は二挺の大砲を据え、大炊頭をはじめ一同には、小具足に身を固め、其上         には火事羽織を被て、御城を警戒する事に相成り、御本丸御殿は菅沼織部 正の人数を以つて固め、また御代官池田岩之丞には川崎の建国寺には、東      おんやしろ 照大権現の御社がございますから、馬に鞭打つて駈附けましたが、早や其 時に建国寺は炎に包まれ、今にも神君の御社に火が移らんとする処を、武     おし                   なにがし 州埼玉郡忍、御知行は十万石、松平下総守殿の留守居何某が、猛火の中を 潜り/\て、御神霊を取出した処でございました、此忍藩の蔵屋敷が、即 ち東照宮の敷地でございまして、御社を守護の役を承まはつて居ります、 何故平八郎が此忍の屋敷にまで火を放つたかと云ふと、此権現様の近火が あれば、必らず両町奉行は出張せねばなりませんから、此辺に火の手が揚 れば、跡部山城守も、堀伊賀守も来るに違ひない、来たれば、両町奉行を 一時に、砲殺しやうと云ふ計略で、大砲を打込ましたが、両町奉行が来ぬ うち 中に火が拡がりまして、騒ぎが大きくなつたので、此処に奉行が来るのを 待つては居られないから、東天満を焼立て、天神橋を渡つて、目差す処は 北船場の富豪の家、小口から焼立てやうと十丁目筋を武者押に、大川筋へ と押寄て参りましたのは、今日での午前十一時頃でございます。               くろけむり              さなが  モウ此時には東天満一円は、黒烟立昇り、白昼ながら朦朧として宛ら月         うち  あすこ 触の夜の如く、其中に彼処でも此処でも、火が燃え出して居りますから、                            ひつかゝ 町人共の狼狽は譬ふるに物なく、老を助けて逃げる者、子を引抱へて走る 者、右往左往に入乱れて泣き叫ぶ有様は、実に形容するに言葉もない位で ございます。     さわぎ  扨また騒が大きくなりましたので、摂津尼ケ崎の城主、松平遠江守の手 勢、泉州岸和田の城主、岡部内膳正の手勢、いづれも大阪に駈集まりまし て、大手の馬場御濠端に陣を張り、矢張り大砲を据えて警戒をして居りま す。


朝岡助之

石崎東国
『大塩平八郎伝』
その114

幸田成友
『大塩平八郎』
その130 

相蘇一弘
「大塩の乱と
大阪天満宮
 


『大塩平八郎』目次/その85/その87

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