Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.12.8

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その91

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第十九席 (1)

管理人註
   

 翌二十日に相成りますと、御城代は御加番衆を始め、両町奉行をお招き                               かしら に相成り、御城内に於きまして御評議が始まり、一日も早く今回の首魁た        おやこ                     めしとら る、大塩平八郎父子の者の所在を捜して引捕へ、其他の者と雖も召捕なけ れば、公儀の御威光に係はると云ふので、一層詮議が厳しく相成りました ので、玉造の与力、八田又兵衛、高橋佐五右衛門の両人は、何でも名有る 者を引捕へんと苦心をして居りますと、茲にまた京阪の西街道吹田村に、        かんぬし 宮脇志摩と云ふ神職がある、此志摩と云ふのは大塩平八郎の叔父でござい まして、摂津島下郡吹田村の、氏神の神主宮脇日向方の養子でございます が、素より平八郎とは叔父甥の間柄だから、一味徒党に加はつて居たに違                            たしか ひなからうが、連判状を見ると、記名して居りません、併し確に騒動の砌、 平八郎と共に立働ひて居たのを見たと云ふ者がございますので、八田、高         こいつ 橋の両人、何でも此奴を引捕へて手柄にせんと、数名の捕方を従へまして、 吹田村へ出張しました。  此吹田村は、御承知の通り、当今では、東海道線の停車場のあるばかり        ビール ではなく、日本麦酒会社などがありまして、繁昌地となつてございます、 尤も天保年間には、今日のやうではないが、夫れでも西街道で大阪の入口                 かんぬし       くらし だから、可なり戸数もあり、氏神の神官と雖も、立派な生計をして居りま す。  八田又兵衛が先きに立つて、氏神の境内へ這入つて見ると、宮脇の家に は二人の植木屋が表の塀の外へ梯子を掛けて、塀から見越しの松の木の枝   を伐つて居ります。              こ ゝ  『高橋氏、宮脇の家は此家だが、植木屋が来て居るとは、チト変では ないか』  佐五右衛門も少しく、思惑が違つたと云ふやうな顔をして。     ど う           う ち  『如何も変だが、併し志摩は在宿と見える』                           かつ  と立話しをして居ると、植木屋は梯子を下り、其梯子を担いで鳥居の外 へと行きますから。  『オイ/\一寸待て』      あと  植木屋は後を振向ひて。  『私ですか、お呼びなさいましたのは』  『貴様は植木屋か』  『ヘイ左様で』  『宮脇の家へいつから仕事に来て居るのぢや』      をととひ  『ヘイ一昨日から』       あるじ  ざいしゆく   ど  『今日は主人は在宿か、何うぢや』  『ヘイ……何でございます』  『志摩は在宿いたし居るかと聞くのぢや』  『在宿と云ふのは』  佐五右衛門は傍から。  『主人は家に居るか居ないかを聞くのぢや』                       うち   いで  『アノ旦那様でございますか、旦那様ならお宅にお在なさいます』  『左様か』     うち  と云ふ中に二人の植木屋は出て行きました。八田又兵衛は召連れました 捕方に向ひ。


幸田成友
『大塩平八郎』
その156 

『塩逆述』附録一
その1−21


『大塩平八郎』目次/その90/その92

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