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翌二十日に相成りますと、御城代は御加番衆を始め、両町奉行をお招き
かしら
に相成り、御城内に於きまして御評議が始まり、一日も早く今回の首魁た
おやこ めしとら
る、大塩平八郎父子の者の所在を捜して引捕へ、其他の者と雖も召捕なけ
れば、公儀の御威光に係はると云ふので、一層詮議が厳しく相成りました
ので、玉造の与力、八田又兵衛、高橋佐五右衛門の両人は、何でも名有る
者を引捕へんと苦心をして居りますと、茲にまた京阪の西街道吹田村に、
かんぬし
宮脇志摩と云ふ神職がある、此志摩と云ふのは大塩平八郎の叔父でござい
まして、摂津島下郡吹田村の、氏神の神主宮脇日向方の養子でございます
が、素より平八郎とは叔父甥の間柄だから、一味徒党に加はつて居たに違
たしか
ひなからうが、連判状を見ると、記名して居りません、併し確に騒動の砌、
平八郎と共に立働ひて居たのを見たと云ふ者がございますので、八田、高
こいつ
橋の両人、何でも此奴を引捕へて手柄にせんと、数名の捕方を従へまして、
吹田村へ出張しました。
此吹田村は、御承知の通り、当今では、東海道線の停車場のあるばかり
ビール
ではなく、日本麦酒会社などがありまして、繁昌地となつてございます、
尤も天保年間には、今日のやうではないが、夫れでも西街道で大阪の入口
かんぬし くらし
だから、可なり戸数もあり、氏神の神官と雖も、立派な生計をして居りま
す。
八田又兵衛が先きに立つて、氏神の境内へ這入つて見ると、宮脇の家に
は二人の植木屋が表の塀の外へ梯子を掛けて、塀から見越しの松の木の枝
き
を伐つて居ります。
こ ゝ
又『高橋氏、宮脇の家は此家だが、植木屋が来て居るとは、チト変では
ないか』
佐五右衛門も少しく、思惑が違つたと云ふやうな顔をして。
ど う う ち
佐『如何も変だが、併し志摩は在宿と見える』
かつ
と立話しをして居ると、植木屋は梯子を下り、其梯子を担いで鳥居の外
へと行きますから。
又『オイ/\一寸待て』
あと
植木屋は後を振向ひて。
植『私ですか、お呼びなさいましたのは』
又『貴様は植木屋か』
植『ヘイ左様で』
又『宮脇の家へいつから仕事に来て居るのぢや』
をととひ
植『ヘイ一昨日から』
あるじ ざいしゆく ど
又『今日は主人は在宿か、何うぢや』
植『ヘイ……何でございます』
又『志摩は在宿いたし居るかと聞くのぢや』
植『在宿と云ふのは』
佐五右衛門は傍から。
佐『主人は家に居るか居ないかを聞くのぢや』
うち いで
植『アノ旦那様でございますか、旦那様ならお宅にお在なさいます』
佐『左様か』
うち
と云ふ中に二人の植木屋は出て行きました。八田又兵衛は召連れました
捕方に向ひ。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その156
『塩逆述』附録一
その1−21
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