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又『我々は表から立入るから、お前達は此家の裏へ廻つて、万一にも裏
もつとも
と殊勝らしく申し述べますので、八田、高橋の両人も道理に思ひ、殊に
ぐるり
此家の周囲には捕方の者が見張りをして居りますから、もし逃げ出した処
で逃すやうな気遣ひは無いと思ひまして。
又『夫れでは早くさつしやい』
志『有難う存じます』
と云つて、志摩は奥の方へ這入りました、両人は暫らく待つて居たが、
う
一向に志摩が出て来ない、扨は矢張り油断をさせ置いて、逃げ失せたか
ま うめ
と気遣ひながら、奥の方の様子を窺つて見ると、次の室に当つて呻き声が
聞える、是れは変だと佐五右衛門、隔ての襖をガラリと開けて見ると、宮
もろはだ め て ゆんで
脇志摩には諸肌を脱ぎ、短刀の血だらけになつたるを右手に持ち、左手に
は ら
押へて居ります腹部はから紅ゐ、余程深く腹を切つたと見えて、臓腑が溢
れ出して居るなど、実に二眼と見られぬ惨酷な有様に、八田、高橋の両人
つぶ あつけ つ
は胆を潰し、呆気にとられて見て居りますと、志摩は苦しき息を吐き。
志『御両氏、お察し下され、私、如何に潔白を示さんといたしても、平
うたがひ
八郎とは叔父甥の間柄、御嫌疑を蒙る事は知れた事、此志摩は養子の身分、
不浄の縄目に掛る時には、先代日向に言ひ訳なく、第一は氏神へ対して恐
とりな
れあれば、斯く切腹したる次第、何卒御奉行へ宜しく御執成し下されい、
一味せざる申し訳は斯くの通り』
こわ
と云ふ中に舌も硬ばり、モウ何を云つて居るのか解らなくなつて、其処
へバツタリと倒れました、又兵衛と佐五右衛門は此有様を見て。
おもき
又『高橋殿、立帰つて此趣を、御奉行へ申し上げやうではござらぬか』
佐『左様、切腹をしたのは感心でござる、首を刎ねて持帰るにも及びま
すまい』
又『兎も角も村の名主を呼出し、此死骸の番を申し附け置いて、我々は
一応引取りませう』
と早速名主を呼出し、不都合の無きやうに、死体の番を致すやうにと命
じまして、両人は捕方の者を引連れて大阪へ立帰り、委細の事を跡部山城
守へ上申に及びましたる処、山城守は。
山『御苦労であつたが、志摩が今回の一味に加はらぬと申すのは、全く
偽りであらう』
又『デモ身の潔白を示すが為に切腹をいたしたる程なれば』
さ
山『イヤ然うでもあらうが、今日賊徒等が現場に取残したる、武器を一々
あらた おほづゝ くるま
検めたる処、大砲を乗せたる車輛の台に宮脇志摩預りと姓名を書記したる
ものがあつた、シテ見ると必ず、一味に加つて居つたものに相違あるまい』
あざむ
と奉行の言葉を聞いて、両人は不安の念を起し、もしや志摩の為めに欺
かれしにあらざるか、今一度吹田村へ往つて、様子を篤と糺さねば相成ぬ
と、両人は再び吹田村へと出張いたす事に相成りました。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その156
『塩逆述』附録一
その1−21
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