Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.12.11

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その94

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第十九席 (4)

管理人註
   

        さかの  扨お話しは少し遡ぼりますが、前に申しましたる通り、此志摩は養子で ございまして、前名は権九郎と申しました、此権九郎は大塩平八郎の、実   おとうと 母の舎弟の忰だから、平八郎の為めには叔父であるが、年齢にはそんなに ちがひ 差異はございません、若年の頃は随分放蕩でございましたが、宮脇家へ養 子に来て、志摩と改名してからは、大きに品行も正しくなりました、常に 大塩家へ出入をして居りましたが、養母のお勝と云ふのはまた、如何いふ          う ま ものか、平八郎と意気が合ひません、処が志摩が此頃大阪へ行くと、大塩               てう の屋敷で泊つて戻る事がある、恰ど平山助次郎の母のやうに心配して、時々 異見をする事がございましたが、志摩に於きましては、大塩平八郎が今度 の企てを、決して悪い事とは思つて居りませんから、養母の異見などは馬            耳東風、黙つて見てお在でなさい、今に天下に名を挙げる事をして、お目 に掛けるなどゝ云つて居りましたが、扨十九日の当日になつて見ると、存  もろ 外脆く敗北をしたので、卑怯にも一方を切り抜け、こそ/\と吹田村へ逃 げ帰り、俄に植木屋を呼び寄せて前裁の手入れをさせますので、養母のお 勝も変に思つて居りました。  尤も大阪に大火があつたと云ふ事は、お勝も聞いて知つては居りました が、親類の大塩平八郎が、事を起したと云ふ事は、十九日の日には判りま せん、翌日になると大阪の騒動が、追々詳しく分つて参りましたので、そ こでお勝は志摩が其一味に加はつたと云ふ事を知り、こりやいづれ遠から                   とりて ず志摩も召捕はれるに相違ない、今にも捕人が来るであらうと思つて居る     ま へ 処へ、前席に申し上げましたる通り、八田、高橋の両人が出て来たから、 扨こそと思つて、志摩が何と云ふか、モウ縄にかゝつて引かれ行くかと思 つて居る処へ、志摩は役人を待たせて置いて、養母の傍へ参り。        たび/\                     あなた  『是れまで度々御忠告に預りましたが、今日となつては、実に貴母へ                つく/゛\ 対して申し訳けがございません、熟々考へますと、なま中未練な事をして は、甥の平八郎の名にも関はり、また第一此宮脇の家名をも汚すやうでは、 養父へ対して相済みません、依つて私は潔よく、切腹をして相果つる覚悟 を致しました、就ては誠に恐れ入りまするが、貴母にも御決心下さいまし、 今更町奉行所の白洲へ、縄に掛つて引かれ行かれるのは、如何にも恥辱か と存じまする』


幸田成友
『大塩平八郎』
その156 

『塩逆述』附録一
その1−21


『大塩平八郎』目次/その93/その95

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