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お勝は是を聞いて。
と
勝『能く覚悟をして下さつた、母も疾うからお前に、切腹を勧めやうと
思つて居ました、お前に其決心があれば、私とても家名が大事、自害をし
て果てませう』
しようがい
志『不所存なる私の為めに、御生害下さるとは、恐れ入つたる次第、併
あなた
し何事も前世よりの約束事でございませう、貴母が御自害なさるゝなれば、
私が御介錯を申し上げ、其刀にて直様切腹仕つります』
勝『オゝ介錯を頼みまする』
と日頃よりして男勝りのお勝は、懐剣を取出して鞘を払ひ、念仏を唱へ
せうとう は ら
て居る容子を見るや否や、志摩は自分の小刀を抜て、養母お勝の腹部へ突
込んで、養母の臓腑を掴み出しました、惨酷な事をしたもので、志摩は最
さ
初から自分は切腹する心はない、養母を欺いて自害を為せ、其血、其臓腑
を己れが腹に塗り附け、切腹をしたと見せて、八田、高橋等を甘く欺き帰
したのでございます、実に人非人と申しませうか、言語道断の次第でござ
います。
扨八田、高橋の両人から呼出されて、宮脇の家に出て来た名主は、至つ
て臆病者でございまして、死んだ真似をして倒れて居る、志摩の上へは筵
き てう
を被せて、傍に居りましたが、気味が悪くつて堪らない、恰ど其処へ村の
歩きをして居る庄助と云ふ男が出て来ましたから。
おれ
名『オイ/\庄助、貴様、暫らく、己に代つて、此死骸の番をして居て
呉れい、己は一寸宅へ帰つて、飯を喰つて来るから』
庄『ハア私が死骸の番をするのかナ』
こ ゝ
名『然うだ、何も気味が悪い事はない、当家の市助を呼んで、二人で番
をして居るが宜い、己は一寸帰つて来るから』
と庄助を残して置いて、名主は、逃げるやうに宮脇の家を出て行きまし
あたり
た、跡に庄助は、是れも薄気味悪さに、四辺をきよろ/\と見ながら。
庄『オイ市助どんや……オイ市助どんは居ねへのかい』
うち
と云ふ中に、今まで死んだ真似をして居た志摩は、筵を跳ね退けて、ス
いきなり
ツクと立上り、手に持つて居た小刀を取直し、突然庄助の肩先きを斬付け、
アツと云つて倒れる処を馬乗りになつて、止めを刺し、死骸は自分の身代
き だし
りとして上から筵を被せ、其儘裏口から逃げ出ました、また宮脇の下男市
さ き
助は、是れより以前に捕方と云ふ事が解つたので、コソ/\と逃げ出しま
あかし とも
したから、宮脇の家は日が暮れても、誰も灯火を点す者もございません、
処へ大阪から再び手先を連れて遣つて参りました、八田、高橋の両人は、
そんな事は少しも知らないから、宮脇の門を這入つて見ると、まだ灯火
が点してございません。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その156
『塩逆述』附録一
その1−21
歩き
庄屋などの雑用
や使い走りに使
われた者
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