助左衛門 科なき者に科を拵らへ、離縁せんと見抜きし故、某が立腹と見
せ、親里へ帰せしが、忰、忠と義とは、どちらが重い、存じておる
か
助次郎 何とおつしやる
助左衛門 胎内に居る内よりしみこみたる主恩を捨て、文学の師と頼みた
る大塩殿に一味をして、一命果す汝が所存
助次郎 アコレ○
〔ト 両人、傍りを見廻し
助次郎 スリヤ拙者めが所存の程を
助左衛門 知らいでならうか、親じやわい、コリヤ能く聞けよ、其方が心
一つで末世末代、反逆の余類と呼ばれて家名を穢すか、迚も一命果
すなら、工みを跡部殿へ注進して、其場に於て切腹せば、忠も立ち、
義も立、女房は去れば、赤の他人、老さらはふたる此親に死耻さら
さすか、死花咲かすか、汝が心の定り次第、何れの道にも一世の別
れ、此世の名残りの仏前へ、暇乞の其内に思案致せ○南無阿弥陀仏
/\
浄るり 意見と数珠を繰返し、我子を思ふ爺親は、仏間へこそは入りにけ
る、跡に平山唯一人、父の詞の強意見、胸も苦しき一思案
助次郎 アヽ有難き親人のお示し、何の科なき女房律、茶碗へを蠅を入置
て、夫を言立離別をと、思ふ心を推量あつて、心にあらぬ舅さり○
浄るり 嘸や難面思ひつらん
助次郎 赦るしてくれよ、コリヤお律○
浄るり 我若気の一心にて、義の一字を立抜いて、忠の一字を失念せり、
大塩殿に恩義はあれども、主家の恩には替へ難し、父の教訓聞かず
んば、反逆謀叛に一味の同類○
助次郎 ハテ能う心附いた事じやなア○
浄るり 俄に変る忠義心、身拵らへして立上り
助次郎 今大望の瀬戸となり、変心なさば一味の者が、臆病未練と嘲らん
○
浄るり 其口惜しさ、心外さ、忠と義心にからまれし、身のせつなさは如
何計り、前非を悔ひて男泣、理り見へて哀れなり、稍あつて、涙を
払ひ
助次郎 父の教へは今此時、臆病者と笑らへば笑らへ、さうじや/\○
浄るり 思ひ立たる一心の、義は鉄石とぞ見へにける、時刻移して叶はじ
と、辺りを見廻し、傍へなる硯引寄せ、認める筆の運びも急がれて、
心の内の走り書、身の成る果の終り迄、書仕舞ふたる願書をば、懐
中なして立上り
助次郎 父上、御無事で厶つて被下升せ、ソレ
浄るり と駈け出す向ふに立塞がり
お 律 マア/\待て被下升せ
助次郎 ヤア邪魔せずと、其所退け
浄るり と又駈け出せば、一間より
助左衛門 ヤレ待忰、夫でこそ父の死花
浄るり と一間の障子引明けて、朱に染みたる助左衛門、見るに驚く助次
郎より、お律は見るより抱かゝへ
お 律 コリヤ何故の御生害
助次郎 某だに切腹なさば、親人様にはお搆ひはあるまじもの、早まつた
事被成升たなア
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