浄るり 悔み涙に助左衛門
助左衛門 ヤア、愚か/\、仮令変心致せばとて、一旦は逆臣に一味致せ
し平山助次郎、余も其儘では打捨置くまい、なま中に生残り、見苦
しい死を遂げんより、我子と共に死ぬるのがせめてもの老の悦び、
今日より親はなし、女房されば一本立、忠の一字を忘るゝな
助次郎 お命迄捨られて、拙者が忠を立させ被下升る親のお情、エヽ忝う
存じ升る
浄るり 御宥るされてと詫び涙、お律も同じく懐剣を、抜く手も見せず胸
元へ、ぐつと斗りに突立れば
助次郎 ヤヽお律、其方迄も此自害
浄るり いふに手負ひは顔を上げ
助左衛門 嫁女、出かした、夫でこそ平山助次郎が妻、嬉しいわいやい
浄るり 悲歎の涙にくれければ、律は苦しき声をあげ
お 律 最前のお叱りは、常に変りし爺様のお怒り合点行ずと思ひし故、
忍んで聞けば、大義に一味、私に難儀をかけまい為○
浄るり お情籠るお暇は、嬉しい様でお情ない
お 律 なぜ一所に自害せいとおつしやつては被下升せぬ、貴君に別れ、
何楽しみに長らへ升せう、夫よりは自害して、爺様や我夫と三途の
川を手を引て
浄るり 渡り升るといひさして、かつぱと伏して泣居たる、助次郎も涙に
くれ
助次郎 ヲヽ出かした女房、追附我も跡から行き、未来は必らず一つ蓮半
座を分けて待て居よ
お 律 嬉しう厶り升る
助左衛門 浮世の習ひといひながら、忠の一字に三人が、命を捨るも前世
の業
助次郎 有為転変の有様じやなア○
浄るり 右と左に取附て、見るも苦しき断末魔、血汐にまじる三人の、涙
淵なす如くなり、助次郎、気を取直し
助次郎 歎きに時を移しなば、拙者が心も水の泡、片時も早く御殿へ出仕
を
助左衛門 せめて此世の
助次郎 死出の晴着を
お 律 アイ
浄るり 苦痛ながらに差出す麻上下の小紋さへ、薄き縁しの女夫中、後ろ
へ廻はす肩衣の、襟もしどろの足元を、踏しめ兼る袴結ぶ、手先も
定らぬ、此世は夢かあだし野の、露と消行く知死期の苦しみ
助次郎 愛別離苦や会者定離
助左衛門 定めなき世と知りながら
お 律 無常の風と諸共に
助次郎 散り行く花は根に返れど
助左衛門 出て返らぬ忰が出仕
お 律 せめて此世のお別れに
助次郎 今ぞ知死期の
助左衛門 名残りに一目
〔ト 三人、手を捕りかはす、是にて時計の音になり
浄るり 哀れ果敢なき
〔ト 両人落入る、此見得にて早幕
〔ト つなぎにて明ける事
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