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吉五郎 娘にうんと得心させ、おれが連れて帰るのを、何で貴様は止める
のだ
鹿 蔵 ヲゝ止めに出たのは外でもねへ、実はおれも惚れて居る故、姉御
と今も相談最中、娘はこつちへ貰ふから、さう思ふて貰うわい
吉五郎 そりや、事とすべによつたら、やるめへものでもねへけれど、一
旦仕事を仕た娘を権ネ押で取られたと、仲間の者にいはれちやア、
此後世間が渡れねへ、此事斗りはお断りだ
鹿 蔵 仮令何といはうとも、こつちも一旦言出したら、跡へは引かぬ、
春日の鹿蔵、爰は一番腕づくでも、おれが女房に仕にやアならねへ
吉五郎 見事われが
鹿 蔵 おんでもない事
両 人 何を
〔ト お慶出て
お 慶 マア待て被下升せ、お二人さんの争ひの元の起りは妹から、夫を
姉の私がどうも見てはおられ升せぬ、一人は心易い鹿蔵さん、今お
一人は終に見ぬお方では厶んすけれど、数ならぬ妹をば女房に仕度
いとおつしやるは、姉が身に取り何ぼうかお嬉しう厶んすわいなア
吉五郎 夫程迄に思ふなら、娘は是非とも私が貰はう
鹿 蔵 姉御、妹のお菊を取られては、此鹿蔵の面が立ぬ
お 慶 ハテ、お前が顔の捨る様にはせぬ程に
鹿 蔵 夫じやといふて、一人の娘に
吉五郎 二人の聟とは
両 人 心元ない
お 慶 何の私も女子でこそあれ、後方迄に急度捌いて見せ升せう
吉五郎 さう姉御が受合ふ事なら
鹿 蔵 出入りはこたなに
両 人 預けてやらう
お 慶 そんなら夫迄奥の座敷で
両 人 ドレ、返事をば待うかい
〔ト 思入あつて鹿蔵は納戸、吉五郎は上手家体へ這入る
お 菊 申、姉さん○
〔ト お慶、吉五郎の跡を見て思案の思入
お 菊 コレ姉さん
〔ト 背中を叩く
お 慶 エゝ恟りするわいのう
お 菊 お前の恟りより私の心配、今の返事は何とせうと思やしやんすへ
お 慶 返事の仕様は○錦木の立なからにて朽にけり
お 菊 今日の細布胸合はすして
お 慶 妹を囮に入込んだ、あの鹿蔵の心に一物、今一人の浪人者、面ざ
しといひ、年格好、慥にあれは
お 菊 日頃尋ぬる私が兄さん
お 慶 アコレ○
〔ト 押へるが木の頭
お 慶 静にしや
浄るり 身拵らへして
〔ト 両人宜しく是にて返し
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「大塩噂聞書」
(摘要)
厶(ござ)る
恟(びっく)り
錦木
(にしきぎ)
ニシキギ科の
落葉低木
細布
(ほそぬの)
幅の狭い布
木の頭
(きのかしら)
幕切れの台詞や
動作のきまりに
合わせて打つ拍
子木の最初の音
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