Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.6.16

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「大塩中斎の死生観」

その3

加藤咄堂(1870−1949)

『死生観』増補 井冽堂 1906 より

◇禁転載◇

事此に至る九死は期すべく、一生は保し難し、平八如何かこれに処せる、

これ常情なり、何人か憂悔危懼の念を起さゞらんや、しかも徒らに煩悶苦悩せず、命のみ」となせるまた常流に一頭地を抜くを見る、

と、これ所謂学問精熟の功にあらずや、彼れは此の如くして死生ら惑はされざるを得たり、想ふに彼れの死生観は学説としては未だ重を為すに足らずと雖、これを実際に応用して知行合一なりしは、他の徒らに其深の理を説て自ら行ふ能はざるものに比して其差幾許ぞ、されば門生皆な其風を慕ひ、終に死生を共にして丁酉の大事を挙ぐるに至りぬ。こゝに一人あり、宇津木矩之丞といふ、近江彦根の人中斎の高弟たり、彼れ久しく長崎に寓し、今や郷に帰らんとして、途、中斎を大坂に省す、嗚呼、これ実に彼が一期の災厄たりしなり、大塩夙に彼れが才幹を知り、告ぐるに密謀を以てし、一方の将たらしめんとす、彼れ其大義名分に背くことを痛諭し、これを止めんとす、大塩聴かず、こゝに於て彼れ一書を僕に托して故里の双親が膝下に呈せしめ、仔細を具し、

と、彼れの運や窮れり、苦諫其誠を尽したりと雖、終に容るゝ所とならず、血気の士は彼れを以て懦弱なりとし、師に背くの不義漢とし、思慮あるものは彼れの生還を以て事の破るの端なりとし、大井正一郎等刀を提げて彼を厠に擁す、彼れ従容として頭を伸べて白刃を受く、其難に処して名分を誤らず、自若として死に就く、以て彼れが人格を想望するに足るものにあらずや、而してこれ豈に大塩の感化にあらざるを知らんや、彼れは腐儒にあらず。彼は自ら死生の巷に出入して以て其の肝を養ひたりしなり、其門下に宇津木矩之丞を出す、寧ろ異とするに足らざるなり、順逆、事異りと雖、彼の門人の多くは亦彼の挙に死するを以て身を殺して仁を為すものとなしたりしなり、滅ある者を捨てゝ不滅なるものを求めたるものを求めたりしなり


石崎東国『大塩平八郎伝』その53/その113


「大塩中斎の死生観」その2

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