Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.9.13

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大塩の乱関係論文集目次


「矢 部 駿 州」 その13

川崎紫山 (1864−1943)

『幕末の三俊』 春陽堂 1897 より


禁転載

適宜改行しています。


      第十三 駿州と鳥居
    

改革の政は、実行せられぬ。然れとも其政令、苛察に陥りたるは、水野一人の罪にあらず、水野の股肱たる鳥居の罪に帰せざるべからず。駿州が、之に反対したるは、決して偶然ならざりき。

鳥居は、如何なる人ぞや。名は忠耀、通称は耀蔵、胖菴と号す。実に林述斎の第二子。旗下鳥居家の嗣と為り、後、甲斐守と称せらる。天保九年八月、大塩平八郎の暴挙を裁判するや、鳥居御目附として之を監せり。

天資忌刻にして獰毒。察以て明と為し、訐以て直と為す。所謂妖蔵の綽名を得たるものは、此人にして、天保改革の政を謬りたるもの。亦彼也。

政治の大体に暗く、苛察を以て、改革の蹟を效さんと欲し、目付の職を以て、其支配下たる御徒目付御小人目付に命じて、厳しく勤倹励行を監督せしめ、苟も勤倹令の行届かざる所あれば、主任の町方与力同心をして之に注意せしめ、聴かざれば、直に之を弾劾せしめぬ。

是に於て、政令、煩密。怨嗟絶へず、或は自家に能舞台を造りたりとて禁錮せられ、或は桧の長押造に座敷を構へたりとて、破毀せられ、或は、煙草入、烟管、簪、指輪等に金銀を用うるを禁し、縮 緬紗綾等を禁し、或は季節に非ざる魚鳥菜果を売る事を禁じ、違ふものあれば、啻に其品を没収するのみならず、入牢罸金の刑に処しぬ。

其甚しきは、町方御目付方の属吏が魚売野菜売等を押へて、盤台の 中を改め、良家の閨秀の往来を止めて肌着の品を改むるに至る。

而して、町方加役御目付方は、朝より夕に至るまで、目を鋭くして市中を巡回し、たゞ犯罪逮捕をのみ事としたりければ、獄に下るもの、日に幾人と云ふを知らず、劇場、遊廓、茶屋、料理屋等、寂然として声無く、市中不景気を極め、市民は、誰れ一人として其不幸を嘆せざるはなかりき。

駿州は、苛察の政、国家を誤らんことを悠ひ、之を矯正せんとせり

以為らく『今日に当り抜本的改革を実行して、享保寛政の古に復せんことは、固より賛成する所なりと雖、政令煩苛に陥ゐり、寛猛当を失し、市民其堵に安んぜざるは、改革の本旨にあらず。抑も今日積弊の由て来る所、一朝一夕の故にあらず。士気を作興し、風俗を矯正するは、急務なりと雖、文網繁密、市民の家業にまで干渉し、一方の害を除くを知て一方の利を妨ぐるを知らざるば、至計に非ず。加ふるに、世上一般の金融を逼塞せしめ、市民の度量を大にし、其規模を遠くし、以て、煩苛の政を避け、繁密の令を慎み、功績をを将来に期せざるべからず。苟も然らず 今日の如くにして抵止する所を知らざらんか、国家の大計を誤るに至らん』と。

之を終に以て鳥居に告げ、之を以て水野を諌めぬ。然れども駿州の意見は、水野の容るゝ所と為らざりき。

水野は、啻に駿州の意見を容るゝこと能はざるのみならず。剰さへ鳥居の讒言を信じ、之を排せんとせり。

而して天保改革の政は、鳥居に由て煩苛の政と変じ幕府を誤るに至りぬ。

『徳川十五代史』に鳥居の人と為りを評して曰く『性、険、常に【心支】心有り、恃才自用、大に水野忠邦の為に用ゐられ、遂に忠良を讒害し小人を薦用す。天保の政を謬るものは、要するに此人也』と。

噫、天下本と事無し、庸人之を擾す。駿州の志を得ざる、豈深く恠むに足らん哉。

 
 


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