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2001.9.24

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大塩の乱関係論文集目次


「矢 部 駿 州」 その16

川崎紫山 (1864−1943)

『幕末の三俊』 春陽堂 1897 より


禁転載

適宜改行しています。


      第十六 禁錮

駿州の、町奉行として、社会の風気を革新せんとするや、其前に、彼が閑廃を歎惜せし人々、皆愁眉を開き、【禺頁】然として、其新政の施設如何を望み居りしに、何ぞ図らん、水野越州の嫉む所と為り、鳥居、榊原の如き群小の搆陥する所と為り、其職を免ぜられて、寄合と為り、(天保十二年十二月廿一日)尋て藉を削られて終身禁錮に処し、松平和之進(桑名家)に預けらるゝ身と為らんとは。(天保壬寅三月廿一日)

余は、其不幸の由て来る所以を究めて、其冤罪たることを一言せざるべからず。

 

人心を服
するの襟
懐なし
水野は、政治家として、奪ふべからざる自信力を有すと雖、英雄を容るゝの度量なかりき。一世を鞭撻するの手腕を有すと雖、社会を感化するの徳義なかりき。鬼神も避くる程の果断ありと雖、人心を服するの襟懐なかりき。

而して其改革を断行するに当り、初め有為の人才を抜擢せりと雖、其真に能く股肱と為り手足と為りしものは、鳥居、榊原、渋川の如き小人なりき。駿州の如き、慧直にして聡明。機敏にして手腕ある人物は、固より其容るゝ所とは為らざりき。

 
剛直を忌
む
水野は、啻に駿州を容るゝこと能はざるのみならず。又深く其剛直を忌みたりき。

茲に一説あり、云く、

    駿州、水野の家臣に賄賂を貪るものあることを探知し、竊に其品目方を調へて、これを水野に忠告しぬ。駿州の意は、実に水野の為に之を慮かりしなれども、水野の陰険なる、是れ我悪を訐くやを疑ひ是より痛く駿州を嫉みしと云ふ。

    又駿州は、当時奥右筆組頭にて、勢力最とも盛なりし田中伴蔵が、町人の名目を藉り、竊に町屋敷を所有することを知り、故らに、其長屋内に博奕ありしを捕へ、実は、田中が持屋敷なることを白状せしめ、之を以て、田中の職を罷めしめたり。

亦以て駿州の法を執る、剛直にして森厳なるを見るべし。而して是れ実に水野の、駿州を畏るゝ所以なりき。

 
狼心豺智
の鳥居忠
耀
然れども、駿河州を讒搆して以て之を陥れたるは、実に狼心豺智の鳥居忠耀其人なりき。茲に又一説あり、
    御目附職、鳥居忠耀、駿州が、剛直にして、且つ声名あることを妬み、私に水野に結ひて、時あらば、駿州を排して己れ之に代らんことを謀りぬ。

    是より先に、天保七年の飢饉の救米掛の主任たりし仁杉五郎左衛門、臨機の処置に苦みて、用達の商人より米穀を買入れしとき、幾何の失費ありしも、他に支払の途なかりしより、窃に帳簿の上にてあやなせしこと、世上には、左せる奸曲のありし如く噂したるに依り、駿州、曾て勘定奉行の職に在りしとき、彼の仁杉等を取調べたれども、孰れも事情止むを得さる事情なればとて、遂に其侭に免しけり。斯くて、

    町奉行に転せしかば、同しく救米掛りの同心掛なりし佐久間伝蔵なるもの、駿州が、再び彼の事を取調べなんかとて、只管警懼して気狂し、一日、詰所の座上にて、同心見習なる堀口貞五郎を斬りぬ。堀口の父は、六左衛門と呼びて先年死去せしかとも、是も亦彼の佐久間と同しく、救米掛の同心たりしものなり。斯くて佐久間は、其場にて自殺し、堀口も暫くして息絶へぬ。

    駿州、此事を断して、彼此宿意のあるべき事を聞かざれば、全く発狂よりして、故なく殺害に及びしものならんとて、其侭、問ふ処なかりき。此時、佐久間の妻なるものゝ答には、先年御救米の事にて、堀口六左衛門などが、私曲を行ひながら、良人に罪を塗りしを、年ごろ口惜がりて候へば、或はさる事よりして、此度の刃傷に及び候らひけん。と申聞えたれども、そは早や六年も過ぎし昔の事にて、今更事を騒ぎ立て、数多の罪人を出さんも、情無き業なればとて、駿州は、万事穏便の取計をぞ為しける。

    然るに此一件、はしなくも、鳥居の聞く所と為り、大に悦ぶこと一方ならず。己れが腹心の者に囑して、佐久間の寡婦に勧め、水野が、登城の途に要して、一封の訴状を上らしめ、亡父の冤を雪かんが為めなればとて、先年よりの始末、一々密告に及びぬ。水野、之を読みて、大に驚きしが、日来より快からず思ひ居りし駿州の事なれば、早速同僚に計らひ、評定所に下して吟味に及ばしめ、駿州を貶して寄合に転し、詮議中、謹慎の旨を命し、尚即日鳥居を以て町奉行に任じぬ。』

 
才と才と
は相容れ
ず
亦以て鳥居が、水野と相結びて以て駿州を排斥したるを知るべし。

葢し才と才とは、相容れず。智と智とは相忌むは、古今同しく然る所。而して、駿州と水野とは、其才力相敵し、其智力相匹す。

故に水野は、駿州を容るゝこと能はざれば、駿州も水野に服すること能はざりき。たゞ水野は、駿州を容るゝこと能はざりしと雖、駿州の町奉行たるに欠くべからざるを以て之に任し、駿州も水野に服せざりしと雖、国家の為に力を效さんとし、其職に在りしのみなりき。

駿州が、水野に服せざる一説として、左の逸話有り。

川村対州は、駿州と莫逆の友なり。一日二人閑を得、燕室に相会せしとき、駿州容を改めて曰く、『水野は、当代得難き人物なり。然れとも、其行為と云ひ、心術と云ひ、我意を得さるものあり。今にして之を除かずんば、必ず国家の大害を惹き起さん。予、不肖と雖、天下の為に、身を以て之に当らん。冀くは、足下予と志を合せ、之を翼けよ』と。

川村、之を聴き、沈思するもの、之を久うし、徐ろに諌めて曰く
『予も亦水野の為す所を善しとはせじ。今や、崔威赫々、我に於て、奈何ともし難し。【來攵/心】に軽忽の事を為さば、奇禍立ころに臻 り、上は不忠の臣と為り、下は不孝の子と為らん。斯る事は、夢思ひ止まり、共に倶に心力を尽して政府の欠漏を補はん』と。駿州聴かず、頭を掉て曰く

『予、水野の心術を看破せり。■て国家の為に之を除かん。其奇禍を獲ると否との洳きは、顧みる所にあらず。吾意已 に決せり』と。

川村曰く『斯く決心とあれば、再び諌むるも詮無けん。予、今、其意見を異にす。又足下と共に奇禍を獲ることを欲せず。多年莫逆の交を為せりと雖、今日を以て交を絶せん。是れ公道に於て止むを得さる所なり』と。

互に涙を揮て別れ、是より公事の外は、言を交へさりしか、後ち、駿州果して奇禍を得たりと。

此事、川村の密に其子に語りし処なりと云ふ。此説の真偽未た詳ならずと雖、要するに、水野の駿州を容るゝこと能はず。駿州の水野に服せざるものあるを知るに足るべき也。

 


百方羅織
駿州の町奉行として、其職に在るや、其才識の敏。声望の隆。一世を圧する許りなりしかば、鳥居が娟嫉の毒牙は、之に噛み付かんとせり。然れとも、駿州の清廉純潔なる隙の投ずべきなかりしより、乃ち七年前に係る仁杉某の罪を治し、百方羅織して、終に榊原等と相謀り、之を水野に訴へ、其悪を逞うすることを得たり。

今、試に、本罪人たる仁杉の口供と、駿州の口供とを掲げ以て、其関係如何を明白にすべし。

    仁杉五郎左衛門儀、去る申年、市中御救米取扱掛り相勤候節、右米買入方申付町方御用達、仙波太郎兵衛外二人より、為時候見舞相贈候反物類等受用致、或は太郎兵衛買付米、及遅滞厳敷察斗致す後、同人持参候金子入菓子折は、差戻候ても、其段頭えも不申立打過、其上右買付米捗取兼る迚、自己の存付を以、深川佐賀町又兵衛太郎兵衛へ為引合、同人手代名目に致し、越後表へ米買付として差遣し、追而又兵衛より米代為替金申越す節、太郎兵衛へ、莫大之立替金申談、急速調達兼候ならは、同人所持の之沽券状取上、右にて融通可致抔不当之儀強而利解及、右等の扱を以て、金一万両為差出、又者地廻米問屋の内、本材木町孫兵衛外二人え活鯛屋敷源兵衛を以及示談、右之者共、任申外組之問屋仲買等え不相響様、密々買入方申渡、且彼等存分に買付出来るならば、此者勲功も顕れ、出精之廉可相立と身為をも存買廻し方手段之為、其以前取極め申渡有之市中相場乍暫く其侭居付置、孫兵衛買付る米五百俵有余米に相成、元方積付破談申承るならば、下け金之内え買付代返納可為致処、先達而買上候買入高に組込有之迚、孫兵衛等取扱を以て、右米売払姿に帳合致、相場違浮金相定差出す金子之内二百両受納致、或は米方仕上勘定取調候砌、一己之心得を以て、太郎兵衛外二人買米失脚等多分之金子為差除、於越後表、又兵衛買入積後延着之分は、其節之相場にて組入、追て着舩之上売払、若不足金相立ならば、御用達共引請出金之積り、押而利解及、案文之受状為差出、孫兵衛外十二人買付る分は、諸雑費損毛無之様買付け代金え差加へ、剰又兵衛酒食遊興に遣捨候金子を相場違不足金の廉へ組込、品々事実相違の勘定帳相仕立、其上孫兵衛等米買入方骨折候に付ては、内願致新規問屋名目相立候様取計度顧書面え加筆をも致遺、追而願之通東国米穀問屋名目差免有之、為右謝礼、問屋共より鰹節一箱具足代金六十五両貰請、其後、年々盆暮為祝儀、此者共妾へ金二両二分つゝ、又大阪表え出立之砌、為餞別金五十両相贈候を、其度々受用致、又者悴仁杉鹿之助儀、与力見習中、風と家出致候処、武州瀬戸村藤助方に罷在由及承、同組同心佐久間伝蔵外一人差遣し、内々にて引戻し、或は鹿之助兼々放埒之儀有之、自然金子手廻兼、孫兵衛方より勝手賄金借受遣す次第も有之、御救米掛り重立取扱候身分、を以て公儀を欺仕形、右始末不届に付、存命ならは、死罪可申付処、病死致す、間其旨可存。

    矢部駿河守、其方儀、町奉行相勤候節、組与力仁杉五郎左衛門、同心堀口六左衛門外五人、去る申年中、市中御救米取扱掛り相勤、品々不正之取扱に及候始末、巨細之義は不相弁候共、最前御勘定奉行勤役中、町方御用達仙波太郎兵衛より、右御救米勘定書控内々為差出、或は西丸御留守居勤役中、堀口六左衛門へ申談、内々為取調候由に付、追而町奉行被仰付候はゝ早速厳重之取計方可有之処、其儀は無之、右六左衛門貞五郎を、同心佐久間伝蔵及殺害、高木平次兵衛も為疵負、伝蔵自殺致候節、同人並妻かねへ心当之有無、其方相尋候御救米勘定合之儀に付、六左衛門等其身之不正を可覆為、伝蔵重立取計候様申成、心外之由兼々噂に聞候間、右を遺恨に含及刃傷候儀にも可有之段、書面を以相答、伝蔵儀変死も、五郎左衛門等の不正より事起り候趣に相聞候上は、同人重科難遁儀に心付不罷在は、不相成儀之処、右之趣は、有体に不申立、五郎左衛門其外の者共、凶年の危急を救候場合、格別骨折候迚、寛宥之御沙汰を希候心底を以、役儀等閑之趣意にて、御暇押込申付る方に内意申聞候に付、遂吟味候処、品々付届之始末、及白状、五郎左衛門死罪、其外夫々御仕置被仰付候、右一件、其方、町奉行不被仰付以前、支配違之者共と申談穿鑿に及候段は、筋違之取計に有之処、町奉行被仰付候後は、却て取繕候取計に有之、殊に最前相尋候節は、覚無之旨相答候箇条再尋に至、相違無之段申聞候儀は、被是以御後闇致方に有之、且又右吟味中は、別て万端相慎み可罷在処、猥に懇意の者共へ、此度の儀は冤罪の躰に、自書を以申遣、又は御政事向、並諸役人之儀等、品々誹謗令め、是又同意の者を以、所々へ為申触候段、人心誑惑為致手段相聞、更に身分に不似合心底、不届之至に候、依之松平和之進へ御預け被仰付者也、右之通、今日於評定所、大目付初鹿野美濃守殿、町奉行遠山左衛門尉、御目付榊原主計頭殿、御立会為仰渡奉畏候、仍如件、

    天保十三寅年三月二十一日       矢部駿河守書印

                        矢部鶴松

    養父駿河守不届之品有之に付、松平和之進へ御預被仰付依之、其方儀改易被仰付者也、

    右之通、今日於評定所大目付初鹿野云々、同断

栗本匏菴、之を評して曰く、
『予、聞く、刑場の狗、一たひ罪余の片臠を喫すれば、其美復忘る可らず。終に【制】犬と為りて、人を見れば、即ち咬み以て快と為し、其慾、盈るに及はす、終に撲殺に遇ふに至ると。鳥居甲斐の如き、乃ち之に類するならん乎。甲州、未た耀蔵たりしとき、目付にて同気相求むる天文方見習渋川六蔵を吹挙し、書物奉行たらしめ、(書物奉行は、林大学頭配下にして、将軍手元の書楓山文庫を司る、先任は、林式部にて、大学頭の末男藕と号する人なりしが、同人二の丸留守居に転し、昌平黌を兼務せし、後任は即ち六蔵なり)此人、世々天文方にて、横字を読み得るより、夫の高野長英、渡辺華山等の人をも知り、併せて其著述夢物語、慎機論の類、世間に未た知られさる日。早く知り得て、耀蔵に示し。耀蔵之を得て終に訐きて獄を起し。連累数人に及ひたりし。

此獄自余の目付役の能く告訴し得可きにあらさるを以て。頗る同僚中に誉を得しより。大に得色あり。以来兎角、聡明を用ひ過きて、人を誣罔し。告訴を以て主旨と為し。羅織搆陥、屡々疑獄を起し。無辜に惨苛を被らしむ。

矢部氏の事の如き、尤も其悪む可きの挙にして。壬寅の丙申を距る七年の後なるも。遡りて仁杉五郎左衛門の罪を治し。其不問に付したる当任の奉行筒井氏か罪は、罷役に止りて。後任の矢部は擬律の軽きを以て、禁錮没籍とは、何等の処刑なる哉。非理も亦甚し。

葢し矢部か才識物望共に己か上に出るを以て。平生之を□嫉し、中傷する所あらんとせしも。未た其間を得さりしか。仁杉か罪を擬するの寛に失せしと云ふに及んて。始て宿志を達するの時至れりと為し。西丸造営の議に。矢部は水野越前守に忤ひ再ひ要地に挙られたりと雖とも。一旦隙を生したるに恨し。百方蠱惑終に此獄を結ふに至れり。鳥居罪を被るの日に至り。矢部か後は召出され。人心の不平は慰したりと雖とも。天保の改革をして美を寛政に■ふするを得さらしめは。実に遺憾の甚きものと云はさるを得す。

其後、高島秋帆を陥れて、之を罪したるも、水戸烈公を誣ひて、謹慎せしめたるも、其首謀は鳥居なりき。

徒に訐きて以て直と為し、媚を水野に献し、其身の謀を為すの彼は、水野にも不忠なりき。彼は、水野の股肱として、土地交換問題を賛成し、死を以て之を貫徹せんと誓ひ、一旦、其意の如くならざるを見るや、忽然飜て、老中土井利位に与みし、石を擠して、水野を陥れたり。而して、彼は、水野の失敗せし後も、榊原と共に其職に在りしが、水野再任するに及び、終に黜けられぬ。

 
水野を誤
りたるは
鳥居なり
水野は、彼を信せりと雖、水野を誤りたるものは、彼なりき。彼は、天保の改革に、其才を展ぶるを得たりと雖。天保の改革を破りたるものは、彼なりき。若し、水野をして、駿州を容れ、其言を容れ、其才を展ぶるを得せしめん乎、則ち天保改革の政、豈一蹶振はざる、彼が如きに至らん哉。

 
厳より刻
察より苛
に入る
駿州罪せられてより、鳥居独り其権を専らにし、忠実の士、往往にして擯斥せられ、天保の政、厳より刻に入り、察より苛に至り、天命人心之に逆ひ、果して失敗するに至りぬ

 
 


「矢部駿州」目次その15その17

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