『幕末三俊』 春陽堂 1897 より
適宜改行しています。
第三 文政時代と駿州 | ||
幕府衰亡 の端 水野忠友 水野忠成 |
白河楽翁、に由て改革せられたる寛政の政は、松平信明、本多忠籌等に由て、保たれつゝありしかば、徳川政府の紀綱、未だ地に堕つるに至らざりき。 然るに水野忠友、一たび出づるに及びて、小人道長じ、君子道消じ、子忠成(水野出羽守)に至り、始めて紀綱を乱し、幕府衰亡の端を冥々中に兆するに至りぬ。 水野忠友は、初め田沼意次に媚附して、側用人より老中と為り、互に相結托して、其権勢を擅にせしが、楽翁侯、中興の治を挙ぐるに当り、罷められて、雁間に候しぬ。然るに、 寛政の末年(九年十一月)水野再び出で、西丸の老中と為りしが、享和二年を以て卒し、養子忠成嗣ぎ、同三年奏者番と為り、文化元年寺社奉行を兼ね、尋て若年寄(十月)に擢でられ、同十年四月世子附側用人に進み、十四年八月老中格と為り、文政元年八月宿老に列し、是より、水野独り権威を擅にするに至りぬ。 彼は、松平信明の卒せしより、独り会計の権を制し、始めて金銀貨を改鋳し、善く人主の意を迎合して、驕奢を逞うし、上下相率ゐて賄賂公行し、小人の徒、私利惟れ貪り、家老土方某の如き、門前市を成すに至りしと云ふ。 | |
賄賂公行 |
茲に一の逸話あり、
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一頭地を 出す |
駿州の出でたるは、水野盛世の際にして、中央政府の紀綱、荒廃しつゝある時にてありき。而して、彼が、賄賂満眼、請託横行、の社会に於て、一頭地を出し、或る範囲に於て其才を展ぶるを得たるものは、何ぞや。
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大久保忠 真 闇黒中に 於る光明 |
水野に対し閣老として、声望ありしものは、大久保忠真(加賀守)其人なりき。大久保忠真は、忠顕の長子。寛政八年家を嗣ぎ、文化中奏者番と為り、寺社奉行を兼ね、同七年六月大阪城代と為り、同十二年四月所司代と為り、文政元年八月宿老に列せられたるもの。大久保、人と為り沈重にして大体を識り、人に接する謙![]() 彼は、水野を圧するほどの勢力なかりしと雖、或る点に於て、水野政治の欠漏を補ひければ、上下の嘱望、中外の倚頼、主として、彼にありき。 要するに、闇黒なる水野政治の中に於て、一点の光明を認めたるは、彼ありしを以て也。而して駿州が、出身の地を得たるものは、大久保の推轂に由ることを忘るべからず。
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