『幕末三俊』 春陽堂 1897 より
適宜改行しています。
第四 出身 | ||
番騎士 |
駿州、父の蔭を以て、御小性組と為り、尋て番騎士と為りぬ。而して、彼の、嶄然として頭角を出し、穎脱の才を顕はしたるは、実に此時よりしたりき。 当時、番騎士の風たる、故者の新者を凌き、之を使役すること、婢僕も啻ならが、殆と言語に絶したる振舞多かりしに、彼は番騎士と為りしより、断然身を以て、其弊風を打破せんとせり。茲に一の逸話あり、
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駿州窃に之を恚り、故らに、灯盞を傾け、油を粥中に注き、撹き、知らさるまねして、之を供せしかば、故輩、
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凡を抜く こと数等 |
駿州一たび頭を出せば、其凡を抜くこと、数等。是より人に知られ、旗下儕輩、一時皆敬憚の意を表せざ
るものなく、是より漸次に累進して顕職に登るに至りしと雖、其驥足を展べんが為には、権道を行ふこ
とを辞せざりき。 藤田東湖の『見聞随筆』に云く、
賄賂を以て出身するは、元より誉むべきにあらざれども、爰に一ツの説あり。全く自家の腴を欲し、富貴逸楽を希はんとて、賄賂を行ふもあり。又恬淡無為には、終身無間のみならず。上の為に心力を尽すことも、なし得ず。さらば、少く道を枉けて当路に出で、国家の為に力を尽し、名をも後世にあけまほしきとて、自ら進て求る人もあるべし。此二人は、路同うして、志異なりと云ふべしと申しければ、矢部も欣然として悦びけり。此事、川路が所謂小韓信、小寇莱と云へるに的中せり。胯下の耻を忍びて、天下に大功を立んと思ふ心、洞察すべし | |
胯下の耻 を忍ぶの 苦心 |
彼が、秩序的階級的の封建社会に処し、其覊絆を脱出して、其才を展ぶるを得たるもの、所謂胯下の耻を忍ぶの苦心を知らざるべからず。
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