Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.5.3

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その100

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  一 決心 (4)
 改 訂 版


天保四年の
飢饉
















天保七年の
飢饉

天保四年秋から翌五年へ懸けての米価は最高二百目に上り、市民は 大根飯・豆飯・芋飯の類を喰ひ、粮米焚方伝救民安逸伝といつたや うな、廉価で口腹を充たす法を書いた小冊子は続々として出版せら れ、質屋は流質のみ多く、而も古着の売先全く止りたる為、廃業す る位であつた、当時西町奉行矢部駿河守定謙東町奉行戸塚備前守忠 栄両人力を合せて前掲の諸手段を講じ、平野屋五兵衛・鴻池屋善右 衛門・加島屋久右衛門等亦莫大の金米を寄捨し、幸に難場を凌いで 五年秋の豊作を迎へるに至つた、「やべうれし、駿河の富士の、山 よりも、名は高うなる、米は安うなる」との落首は、能く市民感謝 の念を表してゐる、然るに七年夏大雨屡々下りしため本年の米作不 凶との見込立ち、米価は六月下旬に既に百目台を抜き、日を追うて 騰貴して来た、町奉行所からは堂島市場に令を下し、糴買又は買占 囲持によつて騰貴の勢を助長してはならぬ、。買占囲持は禁ずるけ れど、蔵米の入札を躊躇して廻米を他所に入津せしめてはならぬ、            サシフダ 搗米屋は必ず小売相場を差札に明記し、不当の利益を貪つてはなら ぬと、五月蠅い程に申達しても、新穀入津期に至り、廻米額は例年 に比して遥に劣り、素人と言はず黒人と言はず、申合したやうに買 占にかゝるので、米価は愈々騰貴し、十一月には百五拾目を越え、 年末には小売相場白米一升二百文・白麦百五拾二文・大豆百二拾四 文・酒一升二百八拾文・油一升五百八拾文となり、人々相会へば談 話は必ず食物の事であつたとしふ。

 天保四年秋から翌五年へ懸けての米価は最高二百目に上り、市民 は大根飯・豆飯・芋飯の類を喰ひ、粮米焚方伝救民安逸伝といつた やうな、廉価で口腹を充たす法を書いた小冊子は続々として出版せ られ、質屋は流質のみ多く、而も古着の売先全く止まりたる為、廃 業する位であつた。当時西町奉行矢部駿河守定謙東町奉行戸塚備前 守忠栄両人力を合せて前掲の諸手段を講じ、平野屋五兵衛・鴻池屋 善右衛門・加島屋久右衛門等亦莫大の金米を寄捨し、幸に難場を凌 いで五年秋の豊作を迎へるに至つた。「やべうれし、駿河の富士の、 山よりも、名は高うなる、米は安うなる」との落首は、能く市民感 謝の念を表してゐる。然るに七年夏大雨屡々下りしため、本年の米 作不凶との見込立ち、米価は六月下旬に既に百目台を抜き、日を追 うて騰貴して来た。町奉行所からは堂島市場に令を下し、糴糶買又 は買占囲持によつて騰貴の勢を助長してはならぬ。買占囲持は禁ず るけれども、蔵米の入札を躊躇して廻米を他所に入津せしめてはな               サシフダ らぬ。搗米屋は必ず小売相場を差札に明記し、不当の利益を貪つて はならぬと、五月蠅い程に申達しても、新穀入津期に至り、廻米額 は例年に比して遥に劣り、素人と言はず玄人と言はず、申合したや うに買占にかゝるので、米価は愈々騰貴し、十一月には百五拾目を 越え、年末には小売相場白米一升二百文、白麦百五拾二文、大豆百 二拾四文、酒一升二百八拾文、油一升五百八拾文となり、人々相会 へば談話は必ず食物の事であつた。


猪俣為治「大塩平八郎」その46


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