北船場に入
る
東横堀川を
渡る
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大阪では大川以南長堀川以北、東は東横堀川西は西横堀川で限つ
た地を船場といひ、船場の中でも北船場は金穴で、今橋筋高麗橋
筋には、富商豪家軒を並べ甍を列ねて其繁栄を誇つてゐる、之を
打潰すのが大塩党の目的であるから、片端から炮碌玉を投込み、
火矢鉄砲を打込んで焼立てた、即ち今橋筋では鴻池屋善右衛門・
鴻池屋庄兵衛・鴻池屋善五郎等鴻池屋の一党、天王寺屋五兵衛・
イハキマスヤ
平野屋五兵衛等、高麗橋筋では三井呉服店、岩城升屋等皆此災に
罹り、鴻庄の如きは金四万両を掠奪されたといふ、併し千両箱一
箇を四貫目とすれバ、四万両は百六十貫目となり、一人や二人で
運ばれるものでは無い、加何に混雑の際といへ、何人の眼にも触
れずに三拾四拾の千両箱を担いで往けはしまいから、四万両紛失
一件は覚束ない話であるが、兎に角焼討を被つた家家の損害は莫
大なものであつたらう、三平の吟味書によると、一党は今橋高麗
橋筋を散々に暴れてから二手に分れ、一手は今橋を渡り、一手は
高麗橋を渡り、再び合したとあるが、恐くは難波橋を渡つてから
間もなく二手に分れ、今橋筋高麗橋筋を東上し、左右に火を放ち、
東横堀川を越えて上町に出たのであらう、然るに討手の蔭さへ見
えぬので、両隊再び合して一となり、東横堀川に沿うて南へ進み、
内平野町の米屋平右衛門米屋長兵衛等、米屋の一党を焼払つたの
である。
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大阪では大川以南長堀川以北、東は東横堀川西は西横堀川で限
センバ
つた地を船場といひ、船場の中でも北船場は金穴で、今橋筋高麗
橋筋には、富商豪家軒を並べ甍を列ねて繁栄を誇つてゐる。之を
打潰すのが大塩党の目的であるから、片端から炮碌玉を投込み、
火矢鉄砲を打込んで焼立てた。即ち今橋筋では鴻池屋善右衛門・
鴻池屋庄兵衛・鴻池屋善五郎等鴻池屋の一党、天王寺屋五兵衛・
イハキマスヤ
平野屋五兵衛等、高麗橋筋では三井呉服店・岩城升屋等皆災に罹
り、鴻庄の如きは金四万両を掠奪されたといふ。併し千両箱一箇
を四貫目とすれば、四万両は百六十貫目となり、一人や二人で運
ばれるものでは無い、加何に混雑の際といへ、何人の眼にも触れ
ずに千両箱三十四十を担出すことは出来まいから、四万両紛失一
件は覚束ない話であるが、兎に角焼討を被つた家々の損害は莫大
なものであつたらう。杉山三平孝右衛門の周旋で大塩邸に住込み、
当日は列中に加へた百姓町人の進退を指図すの吟味書によると、
一党は今橋高麗橋筋を散々に暴れてから二手に分れ、一手は今橋
を渡り、一手は高麗橋を渡り、再び合したとあるが、恐らくは難
波橋を渡つてから間もなく二手に分れ、今橋筋高麗橋筋を東上し、
左右に火を放ち、東横堀川を越えて上町に出たのであらう、然る
に討手の蔭さへ見えぬので、両隊再び合して一となり、東横堀川
に沿うて南へ進み、内平野町の米屋平右衛門米屋長兵衛等、米屋
の一党を焼払つたのである。
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