Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.11.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その137

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  五 騒乱 下 (1)
 改 訂 版


山城守の孤
疑












天神橋切落

大塩一党中重立ちたる者共は東組与力同心である、跡部山城守か ら見れば、手許に平八郎の味方が潜居るやも知れずとの懸念があ り、大井伝次兵衛の倅正一郎は暴動に一味し、又坂本鉉之助の平 素平八郎と懇意なることは、人の知つたる事実なれば、玉造与力 とても油断はならずと思つたらしい、鉉之助が引率して来た同心 を庭内に呼入れた時、山城守家来が御同勢中藤重槌太郎といふ方 は居られぬかと尋ねたも、槌太郎が去年より毎月三度づゝ大塩邸 へ砲術の教授に往つたからの疑である、鉉之助等が折角防禦の支 度中に天神橋を切落したは怪訝に堪へぬ、敵を引受けやうとして 守備の手配をしながら、敵の来る路を絶つて仕舞つたのは会得し かねる、併し山城守に狐疑の心があつたとすれば、不思議でも奇 怪でもない、山城守に出馬を勧め、天神橋南詰の町家に兵を伏せ、 賊徒の八九分通橋を渡つて来る所を見澄し、俄に打つて出でたら ば、橋は長し見通はよし、橋上故左右へ逃散ることは出来ず、多 数の敵を斃し、従つて船場上町を焼かず、市民の難儀を軽くする ことが出来たらうに、山城守が天神橋切落の為杣人足を遣したり といふを聞き、早く其真意を覚つて諫止の方法に出でざりしは残 念であると、咬菜秘記に出て居る。

 大塩一党中重立つた者共は東組与力同心である。跡部山城守か ら見れば、現在尚自分の手許に平八郎の味方が潜み居るやも知れ ずとの懸念がある。玉造口与力大井伝次兵衛の倅正一郎は暴動に 一味し、同坂本鉉之助が平素平八郎と別懇であることは、人の能 く知る所で、山城守は玉造与力とても油断はならずと思つたらし い。鉉之助が引率して来た同心を庭内に呼入れた時、山城守家来 が御同勢中藤重槌太郎殿は居られぬかと尋ねたも、槌太郎が去年 から毎月三度づゝ大塩邸へ砲術の教授に往つたからの疑である。 鉉之助等が折角防禦の支度中に天神橋を切落し、敵の来る路を絶 つて仕舞つたのは甚だ了解に苦しむが、併し山城守に狐疑の心が あつたとすれば、不思議でも何んでもない。坂本鉉之助は自分が 早く山城守の心中を見抜き得たら、山城守を諌めて天神橋切断を 中止せしめしむるのみか、反対に出馬を勧め、天神橋南詰の町家 に兵を伏せ、賊徒の八九分通橋を渡つて来る所を見澄まし、俄に 打つて出でたらば、橋は長し見通しはよし、橋上故左右へ逃散る ことは出来ず、多数の敵を斃し、従つて船場上町を焼かず、市民 の難儀を軽くすることが出来たらうにと悔んでゐる。


「大塩平八郎」目次4/ その136/その138

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