伊賀守出馬
一隊散乱
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東役所防禦の手配を終へる頃、山城守は庭前に出で火事場の容態
を見て居た、大砲の音は頻に聞え、火は次第に西手へ廻り、川崎
の東照宮へも移つたらしい、鉉之助為助は二回までも山城守出馬
を勧めたが一向聴き入れぬ、併し堀伊賀守が東役所へ来て、出馬
に関する城代の命令を伝へるに及んでは躊躇する能はず、山城守
は玉造組を従へて場所に向ひ、京橋組は居残る事となつた、然る
に伊賀守は城代の命を伝へた後、山城守に先ち東役所を出で、門
前に京橋組の並居るを見て、御手前達は京橋組にや、是より場所
へ参る程に、拙者の先へ立ちて参らるべしと言ひ、同心支配広瀬
治左衛門は之を承ると一議に及ばず承知して先頭に立ち、島町筋
を西へ御祓筋の辺まで進んだ、丁度此時は賊徒が高麗橋を東へ渡
る時で、自旗様のものが見える、ソレ打てといふ伊賀守の差図、
治左衛門も亦之に同じたので、同心共は無暗に発砲する、その銃
声に驚いて伊賀守の乗馬は跳廻り、主は鞍上に堪らず と計に落
馬したが、それを見た同心共は、大将の敵に撃たれたりと思ひ、
即時にぱつと散乱した、伊賀守は詮方なく御祓筋の会所に入つて
体息し、治左衛門は京橋口へ退き、同役馬場左十郎に委細を話し、
両名同道にて東役所の長屋前に到り、茫然として突立つて居た、
伊賀守の砲術不案内は詮方ないとしても、治左衛門が之に同じた
のは笑ふべきである、御祓筋から高麗橋迄は四町もあつて、中々
同心所持の三匁五分筒の玉の届くべき訳はない、殊に橋上の白旗
位を目当にして発砲するとは危険千万、外れ玉が市中の者に中ら
ぬとも限らぬ、大塩方が此時砲撃を加へられたることを少しも知
らぬに至つては滑稽も亦極まれりで、かゝる同心支配の配下にあ
る同心が、伊賀守の落馬を見て散乱したのも無理はない。
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東役所防禦の手配を終へる頃、山城守は庭前に出て火事場の容
態を見て居た。大砲の一音は頻に聞え、火は風に連れて南へ、西
へ延焼し、火元に近い川崎の東照宮へも移つたらしい。鉉之助為
助は二度までも山城守出馬を促したが座を立たうとしない。併し
堀伊賀守が来て城代からの出馬の命を伝ふるや、もう躊躇する訳
に行かない。彼は玉造組を従へて場所に向ひ、京橋組は居残つて
東役所の守備に就くことに決した。然るに伊賀守は城代の命を伝
へた後、山城守に先立ち東役所を出で、門前に京橋組の並居るを
見て、御手前達は京橋組にや、是より場所へ参る程に、拙者の先
へ立ちて参らるべしと言ふと、同心支配広瀬治左衛門は一議に及
ハラヒ
ばず之を承知して先頭に立ち、島町筋を西へ御祓筋の辺まで進ん
だ。丁度一堂が高麗橋を東へ渡る時で、自旗様のものが見える。
ソレ打てといふ伊賀守の差図治左衛門も亦之に同じたので、同心
共は無暗に発砲する。その銃声に驚いて伊賀守の乗馬は跳廻り、
主は鞍上に堪らず とばかりに落馬したが、それを見た同心共は、
ハラヒ
それ大将の討死と即時にぱつと散乱した。伊賀守は詮方なく御祓
筋の会所に入つて体息し、治左衛門は京橋口へ退き、同役馬場左
十郎に委細を話し、両名同道にて東役所の長屋前に到り、茫然と
して突立つて居た。伊賀守が砲術不案内で「打て」の命を下した
とて、治左衛門まで之に同じたのは笑ふべき次第である。御祓筋
から高麗橋迄の距離は四町もあつて、中々同心所持の三匁五分筒
の玉の届くべき訳はない、殊に橋上の白旗位を目当にして発砲す
るとは危険千万、外れ玉が市中の者に中らぬとも限らぬ。大塩方
がこの時砲撃を加へられたることを少しも知らぬに至つては滑稽
も亦極まれりで、かゝる同心支配の配下にある同心が、伊賀守の
落馬を見て散乱したのも無理はない。
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