Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.11.18

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その138

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  六 騒乱 下 (2)
 改 訂 版


伊賀守出馬









一隊散乱

東役所防禦の手配を終へる頃、山城守は庭前に出で火事場の容態 を見て居た、大砲の音は頻に聞え、火は次第に西手へ廻り、川崎 の東照宮へも移つたらしい、鉉之助為助は二回までも山城守出馬 を勧めたが一向聴き入れぬ、併し堀伊賀守が東役所へ来て、出馬 に関する城代の命令を伝へるに及んでは躊躇する能はず、山城守 は玉造組を従へて場所に向ひ、京橋組は居残る事となつた、然る に伊賀守は城代の命を伝へた後、山城守に先ち東役所を出で、門 前に京橋組の並居るを見て、御手前達は京橋組にや、是より場所 へ参る程に、拙者の先へ立ちて参らるべしと言ひ、同心支配広瀬 治左衛門は之を承ると一議に及ばず承知して先頭に立ち、島町筋 を西へ御祓筋の辺まで進んだ、丁度此時は賊徒が高麗橋を東へ渡 る時で、自旗様のものが見える、ソレ打てといふ伊賀守の差図、 治左衛門も亦之に同じたので、同心共は無暗に発砲する、その銃 声に驚いて伊賀守の乗馬は跳廻り、主は鞍上に堪らずと計に落 馬したが、それを見た同心共は、大将の敵に撃たれたりと思ひ、 即時にぱつと散乱した、伊賀守は詮方なく御祓筋の会所に入つて 体息し、治左衛門は京橋口へ退き、同役馬場左十郎に委細を話し、 両名同道にて東役所の長屋前に到り、茫然として突立つて居た、 伊賀守の砲術不案内は詮方ないとしても、治左衛門が之に同じた のは笑ふべきである、御祓筋から高麗橋迄は四町もあつて、中々 同心所持の三匁五分筒の玉の届くべき訳はない、殊に橋上の白旗 位を目当にして発砲するとは危険千万、外れ玉が市中の者に中ら ぬとも限らぬ、大塩方が此時砲撃を加へられたることを少しも知 らぬに至つては滑稽も亦極まれりで、かゝる同心支配の配下にあ る同心が、伊賀守の落馬を見て散乱したのも無理はない。

 東役所防禦の手配を終へる頃、山城守は庭前に出て火事場の容 態を見て居た。大砲の一音は頻に聞え、火は風に連れて南へ、西 へ延焼し、火元に近い川崎の東照宮へも移つたらしい。鉉之助為 助は二度までも山城守出馬を促したが座を立たうとしない。併し 堀伊賀守が来て城代からの出馬の命を伝ふるや、もう躊躇する訳 に行かない。彼は玉造組を従へて場所に向ひ、京橋組は居残つて 東役所の守備に就くことに決した。然るに伊賀守は城代の命を伝 へた後、山城守に先立ち東役所を出で、門前に京橋組の並居るを 見て、御手前達は京橋組にや、是より場所へ参る程に、拙者の先 へ立ちて参らるべしと言ふと、同心支配広瀬治左衛門は一議に及                      ハラヒ ばず之を承知して先頭に立ち、島町筋を西へ御祓筋の辺まで進ん だ。丁度一堂が高麗橋を東へ渡る時で、自旗様のものが見える。 ソレ打てといふ伊賀守の差図治左衛門も亦之に同じたので、同心 共は無暗に発砲する。その銃声に驚いて伊賀守の乗馬は跳廻り、 主は鞍上に堪らずとばかりに落馬したが、それを見た同心共は、                             ハラヒ それ大将の討死と即時にぱつと散乱した。伊賀守は詮方なく御祓 筋の会所に入つて体息し、治左衛門は京橋口へ退き、同役馬場左 十郎に委細を話し、両名同道にて東役所の長屋前に到り、茫然と して突立つて居た。伊賀守が砲術不案内で「打て」の命を下した とて、治左衛門まで之に同じたのは笑ふべき次第である。御祓筋 から高麗橋迄の距離は四町もあつて、中々同心所持の三匁五分筒 の玉の届くべき訳はない、殊に橋上の白旗位を目当にして発砲す るとは危険千万、外れ玉が市中の者に中らぬとも限らぬ。大塩方 がこの時砲撃を加へられたることを少しも知らぬに至つては滑稽 も亦極まれりで、かゝる同心支配の配下にある同心が、伊賀守の 落馬を見て散乱したのも無理はない。


「大塩平八郎」目次4/ その137/その139

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