Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.11.23

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その139

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  六 騒乱 下 (3)
 改 訂 版


大砲持参



























山城守出馬

先刻山城守の懇望に任せ、蒲生熊次郎は馬を飛ばして玉造口ヘ取 つて還し、大筒準備の事を申通じたので、平与力四名抱大筒持参 の上、目付中川半左衛門の役所へ罷出づるやうにと、但馬守より 岡翁助の手許への命令が達した、其所で柴田勘兵衛・石川彦兵衛・ 脇勝太郎・米倉倬次郎の四名が撰に当り、勘兵衛彦兵衛は各々百 目玉筒一挺、勝太郎倬次郎は両人にて三十目玉筒一挺を携へ、目 付の御小屋へ伺つた所、折悪敷留守との事で、直ちに城代御玄関 へ行き、但馬守に挨拶をして東役所へ遣つて来た、其時但馬守が 銘々着込を着してゐるかと問はれたら、イヤ大筒の玉先に向つて は着込は何の役にも立ち申さず、場所へ出でたる上は存命にて罷 帰る覚悟毛頭これ無しと、大言を払つて出たが、彼等四人は実際 最後に至るまで一発をも放つ機会を得無かつた、路次戦ともいふ べき場合に、百目筒などを携へて来るのが抑も間違で、鉉之助如 きは十匁玉筒ですら、普通の儘では貫穿力が強いと考へ、火薬を 半滅したといふ位である、何は兎もあれ与力四名と同心小頭二名 とが新に到着したので、山城守配下の玉造ロ応援隊は今や合計与 力七名同心三十二名となり、与力は玄関前に、同心は門前に整列 して待つて居ると、程なく山城守は玄関先に見えた、其時鉉之助 は拙者同心を引連れ先頭へ参るべく、去り乍ら道筋不案内故、確 としたる案内をお立て下さるやうにと願つた、尤千万の次第と、 一隊の先頭には山城守の纏を押立て、それへ案内の士が一人つい た、

 先刻山城守の懇望に任せ、蒲生熊次郎は馬を飛ばして玉造口ヘ 取つて還し、大筒準備の事を申通じたので、但馬守から岡翁助に 対し、平与力四名抱大筒持参の上、目付中川半左衛門の役所へ罷 出づるようにとの命令が達した。よつて柴田勘兵衛・石川彦兵衛・ 脇勝太郎・米倉倬次郎の四名が撰に当り、勘兵衛彦兵衛は各々百 目玉筒一挺、勝太郎倬次郎は両人にて三十目玉筒一挺を携へ、目 付の御小屋へ伺つた所、折悪敷留守との事で、直ちに城代御玄関 へ立寄り、但馬守に挨拶をして東役所へ来た。挨拶の際但馬守が 銘々着込を着してゐるかと問ふと、イヤ大筒の玉先に向つては着 込は何の役にも立ち申さず、場所へ出た上は存命にて罷帰る覚悟 毛頭これ無しと、大言を払つて出たが、彼等四人は実際最後に至 るまで一発をも放つ機会を得無かつた。路次戦ともいふべき場合 に、百目筒なんどを携へて来るのが抑も間違で、鉉之助如きは十 匁玉筒ですら、普通の儘では貫穿力が強いと考へ、火薬を半滅し たといふ位である。何は兎もあれ与力四名と同心小頭二名とが新 に到着したので、山城守配下の玉造ロ応援隊は今や合計与力七名 同心三十二名となり、与力は玄関前に、同心は門前に整列して待 つて居ると、程なく山城守は玄関先に現はれた。鉉之助進み出で、 拙者同心を引連れ先頭へ参るべく、去り乍ら道筋不案内につき、 確とした案内をお立て下さるやうにと申立てると、尤も千万の次 第と、一隊の先頭には山城守の纏を押立て、それへ案内の士が一 人ついた。


坂本鉉之助「咬菜秘記」その10


「大塩平八郎」目次4/ その138/その140

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ