Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.11.26

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その140

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  六 騒乱 下 (4)
 改 訂 版


内平野町の
衝突

内骨屋町筋から内平野町を西へ向つて進んだ時、大塩隊は平野橋 の東詰に居り、山城守の纏を目当に木砲の火蓋を切つた、本多為 助や同心山崎弥四郎は其音を聞いて、打ちませうか\/と度々鉉 之助に催促したが、何分の混雑故、待て\/といひつゝ、辻に立 つて能く見ると、煙の中より木砲の巣口が明に見える、ソレとい つて打出すと、もう賊徒の姿は見えぬ、其場に斃れて居たは人夫 様の者一名きりで刀も指してゐぬ、敵は平野橋を西へ退き、鉉之 助等は黒煙に沮まれて進み得ず、引還して松屋町筋を南に向ひ、 山城守の本隊を駈抜け、思案橋を渡って瓦屋町を西へ進んだ、鉉 之助は内平野町の浜側へ出やうとして、また引還した為、一時山 城守の本隊より後れたのであらうが、為助熊次郎は一段と後れ、 思案橋の西詰を突当つて、北へ曲らうか南へ曲らうかと躊躇し、 先づ南へ曲り、瓦町へ出て漸く鉉之助の後影を見たといふ、同心 猪狩耕助が後日に、此度跡部殿は大分跡へ下られながら、銘々共 へは先へ行けと毎々言はれた、それに合点の行かぬは、某町を通 られた時、通られてから其町の木戸を締めて呉れよと我等に命ぜ られた、多分後から賊でも参らうかとの御懸念であったらうと、 或人に話したといふが、所謂問ふに落ちず語るに落ちるで、先頭 にあるべき玉造同心が後へ引下つて跡部の同勢と混じ、其上同勢 の通つた跡の町木戸を締るとは、殿といへば体裁が宜いが、怯儒 と笑はれても一言もあるまい。所謂内平野町の小衝突以来山城守 の隊伍は崩れたので、山城守も亦伊賀守同様落馬したと甲子夜話 に見える、苦々しい話だ。

 跡部隊が骨屋町筋から内平野町を西へ向つて進んだ時、大塩隊 は平野橋の東詰に居り、山城守の纏を目当に木砲の火蓋を切つた。 本多為助や同心山崎弥四郎は砲声を聞いて、打ちませうか\/と 度々鉉之助に催促したが、何分の混雑故、待て\/といひつゝ、 辻に立つて能く見ると、煙の中から木砲の巣口が明らかに見える、 ソレといつて.打出すと、もう賊徒の姿は見えぬ。その場に斃れ て居たは人夫様の者一名きりで刀も指してゐぬ。敵は平野橋を西 へ退き、鉉之助等は之を追はんとしたが黒煙に沮まれて進み得ず、 引還して松屋町筋を南に下り、思案橋を渡って瓦町を西へ進んだ。 鉉之助は松屋町筋で山城守の本隊を駈け抜けた記憶があるといふ。 彼は内平野町の浜側へ出ようとして、また引還した為、一時山城 守の本隊より後れたのであらうが、為助熊次郎は更に後れ、思案 橋の西詰を突当つて、北へ曲らうか南へ曲らうかと躊躇し、先ず 南へ曲り、瓦町へ出て漸く鉉之助の後影を見たといふ。同心猪狩 耕助が後日或る人に向ひ、跡部殿は大分跡へ下られながら、銘々 共へは先へ行け\/と言はれた。それに合点の行かぬは、某町を 通られた時、通られてから木戸を締めて呉れよと我等に命ぜられ た。多分後から賊でも参らうかとの御懸念であったらうと話した といふが、所謂問ふに落ちず語るに落ちるで、先頭にあるべき玉 造同心が後へ引下つて跡部の同勢と混じ、その上同勢の通つた後 の町木戸を締めるとは、殿といへば体裁が宜いが、怯儒と笑はれ ても一言もあるまい。所謂内平野町の小衝突以来山城守の隊伍は 崩れたので、山城守も亦伊賀守同様落馬したと甲子夜話に見える、 苦々しい話だ。


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