伊賀守の進
路
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伊賀守は内平野町の衝突後山城守と出会ひ、是より両方に分れて
賊徒を挟撃しやうとの相談であつた、其処で山城守の馬廻にゐた
脇勝太郎・米倉倬次郎・石川彦兵衛三人が伊賀守の先鋒となり、
本町橋附近迄押して往つたが、肝要の伊賀守は半町位づゝ後に引
下り、最初二十人余も附添つて居た鉄砲同心は瓦町堺筋辺にて僅
に十三四人となり、其上始終遅れ勝である、勝太郎は幾度催促し
ても催促甲斐なきに怒を催し、元来何の為に恩禄を頂戴致さるゝ
や、大事に臨んで斯様の体裁は恐れ入つたる事に候はずやと、高
声に罵り辱めたが誰一人返事も為ない、夫故今度は伊賀守に向ひ、
賊徒の跡を追ふのみにては何の甲斐もこれ無く、人数を両手に分
け、東西より挟撃致したしと言上したが、人数小勢につき、両手
に分けることは見合せよとの返答、其内北の辻にてで鉄砲の音が
する、急いで駈付ける道すがら、散乱してゐる鎗二本粗末の大小
一腰を分捕し、淡路町へ来て両町奉行一手ととなり、西へ向つた
が、最早賊徒は一人も居らぬ、其所で兵を班し、本町橋東詰にて
両町奉行袂を分ち、彦兵衛倬次郎は伊賀守の懇望により両町奉行
所に赴き、山城守は御城入を為し、鉉之助・為助・勘兵衛・熊次
郎・勝太郎並に同心一統は番場にて山城守に分れ、奉行所へ帰つ
て休息した。
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伊賀守は内平野町の衝突後山城守と出会ひ、是より両方に分れ
て賊徒を挟撃しようと相談した。そのため今迄山城守の馬廻にゐ
た脇勝太郎・米倉倬次郎・石川彦兵衛三人が伊賀守の先鋒となり、
本町橋附近迄押して往つたが、肝要の伊賀守は半町位づつ後に引
下り、最初二十人余も附添つて居た鉄砲同心は本町辺にて僅に十
三四人となり、その上始終遅れ勝である。勝太郎は幾度催促して
も催促甲斐なきに怒を催し、元来何の為に恩禄を頂戴致さるるや、
大事に臨んで斯様の体裁は恐れ入つた事に候はずやと、高声に罵
り辱めたが、誰一人返事も為無い。今度は伊賀守に向ひ、賊徒の
跡を追ふのみにては何の甲斐もこれ無く、人数を二手に分け、東
西より挟撃致したしと言上したが、人数小勢につき、二手に分け
ることは見合せよとの返答、彼是する内北の辻で鉄砲の音がする、
急いで駈付ける道すがら、散乱してゐる鎗二本粗末の大小一腰を
分捕し、淡路町へ来て両町奉行一手ととなり、西へ向つたが、最
早賊徒は一人も居らぬ。よつて兵を班し、本町橋東詰にて両町奉
行袂を分ち、彦兵衛倬次郎は伊賀守の懇望により同人に従つて西
町奉行所に赴き、鉉之助・為助・勘兵衛・熊次郎・勝太郎並びに
同心一統は番場にて山城守に分れ、山城守は入城し、彼等は東町
奉行所へ帰つて休息した。
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