Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.12.4

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その142

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  六 騒乱 下 (6)
 改 訂 版


伊賀守の進
路

伊賀守は内平野町の衝突後山城守と出会ひ、是より両方に分れて 賊徒を挟撃しやうとの相談であつた、其処で山城守の馬廻にゐた 脇勝太郎・米倉倬次郎・石川彦兵衛三人が伊賀守の先鋒となり、 本町橋附近迄押して往つたが、肝要の伊賀守は半町位づゝ後に引 下り、最初二十人余も附添つて居た鉄砲同心は瓦町堺筋辺にて僅 に十三四人となり、其上始終遅れ勝である、勝太郎は幾度催促し ても催促甲斐なきに怒を催し、元来何の為に恩禄を頂戴致さるゝ や、大事に臨んで斯様の体裁は恐れ入つたる事に候はずやと、高 声に罵り辱めたが誰一人返事も為ない、夫故今度は伊賀守に向ひ、 賊徒の跡を追ふのみにては何の甲斐もこれ無く、人数を両手に分 け、東西より挟撃致したしと言上したが、人数小勢につき、両手 に分けることは見合せよとの返答、其内北の辻にてで鉄砲の音が する、急いで駈付ける道すがら、散乱してゐる鎗二本粗末の大小 一腰を分捕し、淡路町へ来て両町奉行一手ととなり、西へ向つた が、最早賊徒は一人も居らぬ、其所で兵を班し、本町橋東詰にて 両町奉行袂を分ち、彦兵衛倬次郎は伊賀守の懇望により両町奉行 所に赴き、山城守は御城入を為し、鉉之助・為助・勘兵衛・熊次 郎・勝太郎並に同心一統は番場にて山城守に分れ、奉行所へ帰つ て休息した。

 伊賀守は内平野町の衝突後山城守と出会ひ、是より両方に分れ て賊徒を挟撃しようと相談した。そのため今迄山城守の馬廻にゐ た脇勝太郎・米倉倬次郎・石川彦兵衛三人が伊賀守の先鋒となり、 本町橋附近迄押して往つたが、肝要の伊賀守は半町位づつ後に引 下り、最初二十人余も附添つて居た鉄砲同心は本町辺にて僅に十 三四人となり、その上始終遅れ勝である。勝太郎は幾度催促して も催促甲斐なきに怒を催し、元来何の為に恩禄を頂戴致さるるや、 大事に臨んで斯様の体裁は恐れ入つた事に候はずやと、高声に罵 り辱めたが、誰一人返事も為無い。今度は伊賀守に向ひ、賊徒の 跡を追ふのみにては何の甲斐もこれ無く、人数を二手に分け、東 西より挟撃致したしと言上したが、人数小勢につき、二手に分け ることは見合せよとの返答、彼是する内北の辻で鉄砲の音がする、 急いで駈付ける道すがら、散乱してゐる鎗二本粗末の大小一腰を 分捕し、淡路町へ来て両町奉行一手ととなり、西へ向つたが、最 早賊徒は一人も居らぬ。よつて兵を班し、本町橋東詰にて両町奉 行袂を分ち、彦兵衛倬次郎は伊賀守の懇望により同人に従つて西 町奉行所に赴き、鉉之助・為助・勘兵衛・熊次郎・勝太郎並びに 同心一統は番場にて山城守に分れ、山城守は入城し、彼等は東町 奉行所へ帰つて休息した。


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