武備廃頽
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大塩の乱は之で終つた、暴徒は二回の小衝突で全く離散して了つ
た、町奉行所側では誰一人負傷したる者も無い、大塩方で討死は
梅田源左衛門一人、其他二人は人足様の者に過ぎない、山城守の
届書によると、出火に付変死の者合計十五人、此中刀疵鉄砲疵あ
るもの六人とあるが、それも必ず賊に与して討死した人々とは認
められぬ、或は流弾に当つて敢なく一命を落したものもあらう、
玉造口与力同心の発砲数は前後二回にて合計百八十発と彼等の働
前明細書にあるが、最初銘々から出した届書によると、玉数が如
何にも多いので、再考三考を求めた結果、これ丈になつたといふ
から、大して当にはならない、最も彼等は豪も覘を付けんとはせ
ず、玉さへ込めれば直に火縄を挿したので、同心中一廉勇猛であ
つた山崎弥四郎さへ、自分も其仲間の一人であつたと白状してゐ
る、小頭田村藤蔵の話に、場所にて玉はヒュー\/鳴つて頭上を
越し、お頭ハ遥先手に進まれて居る、若し味方の鉄砲で径我があ
ヤドメ
つてはと考ヘ、陣笠を脱いで振廻し、漸く矢止を致した、堺筋の
町家の軒の上に掲げてあつた看板は、是等の玉で蜂の巣のやうに
為つたとある、同心糟谷助蔵が淡路町で自分の打つた玉が、北側
の軒へ当つて瓦を砕くのを見て、之は玉を越させたと心付いたと
いふのは稀有の例で、大低は皆夢中同様、前後の有様も能くは記
憶に残らぬ。鉉之助すら「賊徒と戦ひしも何町にてありしや、西
を向てやら北を向てやら、夫さへろくに覚なく、畢竟申さば夢中
同前といふものなり」といひ、猟師の金助に陣笠を打たれしこと
も気付かず、唯顔が何となくあおつたやうな気持がした丈で、鉄
砲の音も自分が打つたのは聞えるが、其他は耳に入らず、但馬守
へ出す届書を認むる時一同打寄り、最初の衝突は内部平野町と決
定したが、第二回の衝突は伏見で召捕になつた白井孝右衛門の口
書に、淡路町堺筋とあるのを聞いて、漸く書出したといふ始末で
ある、評判の宜い玉造口でさへ右の始末、苦情を申立てて出陣を
免れやうとした京橋組が、伊賀守の落馬と同時に四散し、同心支
配次左衛門左十郎両名茫然として東番所の門前に佇んでゐたのも
無理はない、山城守再三の懇望により勘兵衛彦兵衛は百目筒を担
出したが、遂に一発も打たずに終つた、依頼した山城守の鉄砲不
案内は言はずもあれ、如何に但馬守の命令とはいへ、勘兵衛等が
維命維従ふで百目筒を持出し、其後又もや山城守の依頼により、
鉉之助外数名の共有にかゝる三百目の大筒を東番所へ引込み、更
に青屋口にある三百目の大筒をも玉造の手へ渡さうとし、鉄砲奉
行御手洗伊右衛門付添の上諸所を引廻つた事共は如何にも滑稽で
ある、鉉之助は十匁筒ですら火薬が多い、当の敵を打倒した上、
無辜の人民に怪我あつてはならずと火薬を半減した程で、決して
百目筒などを用ふべき場合でない、况んや三百目筒といつては、
附属の器具も中々大層で、全体では百四五十貫目に上り、玉は三
十町も飛ぶ、五町七町見晴の宜い場所でこそ三百目筒の効用を顕
すことも出来るが、町奉行所門前でそれを放つたら、縦令賊徒の
一人二人打貫いたとて、其余は城の方へ飛ぶか、町の方へ飛ぶか、
玉先はいづれ差支ある場所だ。依頼する者も依頼する者だが、承
諾する者も承諾する者である、鉉之助が何といつても承知せず、
三百目筒を持返らせたのは大出来といふべしだ。
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大塩の乱は是で終はつた。暴徒は二回の小衝突で全く離散して
しまつた。町奉行所側では誰一人負傷した者も無く、大塩方で討
死は梅田源左衛門一人、その他二人は人足様の者に過ぎない。山
城守の届書によると、出火に付変死の者合計十五人、内刀疵鉄砲
疵あるもの六人とあるが、それも必ず徒党に加はつて討死したも
のとは認められぬ。或は流弾に当つて敢なく一命を落したものも
あらう。玉造口与力同心の発砲数は前後二回で合計百八十発と彼
等の働前明細書にあるが、最初銘々から出した届書によると、玉
数が如何にも多いので、再考三考を求めた結果、これ丈になつた
といふから、大して当にはならない。最も彼等は豪も狙を付けん
とはせず、玉さへ込めれば直ちに火縄を挿したので、同心中一廉
勇猛であつた山崎弥四郎さへ、自分もその一人であつたと白状し
てゐる。小頭田村藤蔵の話に、場所にて玉はヒューヒュー鳴つて
頭上を越し、お頭は遥先手に進まれて居る、若し味方の鉄砲で径
ヤドメ
我があつてはと考ヘ、陣笠を脱いで振廻し、漸く矢止をした。堺
筋の町家の軒の上に掲げてあつた看板は、是等の玉で蜂の巣のや
うに為つたとある。同心糟谷助蔵が淡路町で自分の打つた玉が、
北側の軒へ当つて瓦の砕けるのを見て、之は玉を越させたと心付
いたといふのは稀有の例で、大低は皆夢中同様、前後の有様も能
くは記憶に残らぬ。鉉之助すら「賊徒と戦ひしは何町なりしか、
西を向いてやら北を向いてやら、夫さへ禄に覚なく、畢竟申さば
夢中同前といふものなり」といひ、猟師の金助に陣笠を打たれし
ことも気付かず、唯顔が何となくあをつたやうな気持がした丈で、
鉄砲の音も自分が打つたのは聞えるが、その外は一切耳に入らず、
但馬守へ出す届書を認むる時一同打寄り、最初の衝突は内部平野
町と決定したが、第二回の衝突は伏見で召捕になつた白井孝右衛
門の口書に、淡路町堺筋とあるのを聞いて、漸く書出したといふ
始末である。評判の宜い玉造口でさへ右の始末、苦情を申立てて
出陣を免れようとした京橋組が、伊賀守の落馬と同時に四散し、
同心支配次左衛門左十郎両名が茫然として東番所の門前に佇んで
ゐたのも無理はない。山城守再三の懇望により勘兵衛彦兵衛は先
づ百目筒を持参し、次ぎに但馬守の指図で鉉之助外数名の共有に
かかる三百目の大筒を東番所へ引込み、更に青屋口にある三百目
の大筒を鉉之助等の手へ渡さうとし、鉄砲奉行御手洗伊右衛門附
添の上諸所を引廻つた事共は如何にも滑稽である。今度の衝突は
決して百目筒などを用ふべき場合でない。況んや三百目筒といつ
ては、附属の器具も中々大層で、全体では百四五十貫目に上り、
玉は三十町も飛ぶ。五町七町見晴の宜い場所でこそ三百目筒の効
用を顕すことも出来るが、町奉行所門前でそれを放つたら、縦令
賊徒の一人二人打貫いたとて、丸は城の方へ飛ぶか、町の方へ飛
ぶか、玉先はいづれ差支ある場所だ。依頼する者も依頼する者だ
が、承諾する者も承諾する者である。御手洗伊右衛門がやつと鉉
之助を捜し当てて三百目筒を渡さうとすると、鉉之助は何といつ
ても承知せず、そのまま持返らせたのは大出来といふべしだ。
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